8 さて、ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行っていた。
9 ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論した。
10 しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対応することができなかった。
11 そこで、彼らはある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた」と言わせた。
12 また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕らえ、議会にひっぱって行った。
13 そして、偽りの証人たちをたてて、こう言わせた。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。
14 『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」
15 議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。
1 大祭司は、「そのとおりか」と尋ねた。
2 そこでステパノは言った。「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父アブラハムが、ハランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現れて、
3 『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け』と言われました。
4 そこで、アブラハムはカルデヤ人の地を出て、ハランに住みました。そして、父の死後、神は彼をそこから今あなたがたの住んでいるこの地にお移しになりましたが、
5 ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。それでも、子どももなかった彼らに対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。
6 また神は次のようなことを話されました。『彼の子孫は外国に移り住み、四百年間、奴隷にされ、虐待される。』
7 そして、こう言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしがさばく。その後、彼らはのがれ出て、この所で、わたしを礼拝する。』
8 また神は、アブラハムに割礼の契約をお与えになりました。こうして、彼にイサクが生まれました。彼は八日目にイサクに割礼を施しました。それから、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブに十二人の族長が生まれました。
9 族長たちはヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神は彼とともにおられ、
10 あらゆる患難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で、恵みと知恵をお与えになったので、パロは彼をエジプトと王の家全体を治める大臣に任じました。
11 ところが、エジプトとカナンとの全地にききんが起こり、大きな災難が襲って来たので、私たちの父祖たちには、食物がなくなりました。
12 しかし、ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、初めに私たちの父祖たちを遣わしました。
13 二回目のとき、ヨセフは兄弟たちに、自分のことを打ち明け、ヨセフの家族のことがパロに明らかになりました。
14 そこで、ヨセフは人をやって、父ヤコブと七十五人の全親族を呼び寄せました。
15 ヤコブはエジプトに下り、そこで彼も私たちの父祖たちも死にました。
16 そしてシケムに運ばれ、かねてアブラハムがいくらかの金でシケムのハモルの子から買っておいた墓に葬られました。
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ステパノの話。
ここまでは、初代教会における、聖霊による教会成長の経緯が記され、意気揚々という感覚さえあったのだが、ステパノに起きたこのことからは、いよいよその初代教会、使徒たちによる宣教実践の歴史ということになる。
ステパノは、最初の殉教者としてあまりに有名な人物であるが、彼がもともと特別な能力を持った人物であったかと言うと、決してそうではなく、今でもよくあるような教会活動での奉仕に携わる信徒であったことが一つのポイントであると思う。
しかしステパノは、めぐみと力に満ちていた、のだ。めぐみ、つまり聖霊の力による能を授かっていたということだろう。
そして、ユダヤ教の権威層からの攻撃を受けるのだが、これを見事に論破していたのだから痛快だ。
ステパノが話をし出したのは、当時のユダヤ人たちのプライドの根源とも言える、アブラハムについてだ。
今日のみことばからは、このアブラハムという根源であり「原点」に重きを置くようにと神から示されているように思えた。
クリスチャンになる前となってから、何が変わったかと言えばこの「原点」になってくるだろう。
今、悩みが多く、喜びも多いのが仕事のことになるが、その仕事にしても、前はただ金のために働いていたと言える。
今も給料を頂きたいから働いているわけで、それは変わっていないのだが、しかし、金は副次的なものであるようにも思える。
いや、そうあることで、仕事や会社にもっと広がりとか可能性が見いだされるように思えてならないのだ。
それは、原点を金からイエス様に移すことであるのかなあ、とぼんやりと思える。
社員の多くはクリスチャンではないから、なかなか難しいのだけれども、少なくとも、私に関しては、イエス様のためになる仕事をして会社であろうとすることが、大きな転換になるかも知れないと思う。
イエス様。これからの仕事と会社の原点だ。