37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
38 そこでペテロは彼らに答えた。
「悔い改めなさい。
そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」
40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。
41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた、その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
43 そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。
44 信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。
45 そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。
46 そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
47 神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
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今日もまた心ふるえるみことばで感謝なのだが、わかっていることだけれどやっていないことであり、やっていないから成されないことなのだなあ、とあらためて心が痛くもあった。
やはり聖霊のバプテスマを受けた初代教会の弟子たちが、まさにイエス様のよみがえりを肉眼で見、それを証している。
五旬節に聖霊の風が吹き、それを受けて語るその姿は、迫力や霊的な力の押し寄せるところで、どれほどだろうと思う。
それから1990年くらい経ってから、私はいよいよ悔い改めることになったわけだが、あのインパクト、あの霊力を、今受けたいと心から願う。
それは、あの頃だから強かったものではなく、今も強いものであるはずだ。
なぜなら、それはイエス様の力であるからだ。
そうすれば、初代教会の回心者たちのように美しく生きることが出来かも知れない。
わかっているけれどやっていないことだ。
慎ましく言えば私が悪いのだが、霊を受けないと、霊の満たしを求めないと、というところだ。
やっていないから成されないのは、そういうコミュニティで生きる姿を見て、世の人から好意を持たれることかと思う。
好意を持たれるということは、聞く耳を持たれることにつながり、それは、福音を伝えて受け入れる可能性がぐっと上がることになる。
つまり、伝道して救われる人が増えるということだ。
今も曲がった世の中だと思う。
特に日本においては、正義に何の基準もないからだろう。
聖書に正しさがある。神に正義はある。また本当の愛がある。
そのことを雄弁に語るほどの、力を得たいと願う。