私は涙のかれるまで泣きました。
同胞の身に起こったことを見て、
悲しみのあまり胸が張り裂け、
身を切られる思いでした。
幼い子どもや、生まれたばかりの赤ん坊が、
道ばたで衰弱し、息絶えていく
のです。


12 子どもたちは「何か食べたい」と訴えるように、
乳の出ない母の胸に顔を埋めます。
小さないのちは、
戦場で傷ついた兵士のように消えていきます。


13 今までこんな悲惨なことがあったでしょうか。
エルサレムよ。
あなたの苦悩を
何にたとえたらよいでしょう。
どのようにして慰めたらよいのでしょう。
その傷は海よりも深く、だれにもいやせません。


14 預言者たちは、多くのまやかしを預言しました。
あなたの罪を指摘して、
何とかしてあなたが奴隷にならないようにしようと、
努力する
こともありませんでした。
うそを並べ立て、
万事うまくいくと言ったのです。


15 道行く人たちはみな、あざけって頭を振り、
「これが『世界で最も美しい都』とも、
『全地の喜び』とも呼ばれていた町なのか」
とさげすみます。


16 敵はあなたをあざ笑い、
ののしって言います。
「とうとう、この都を滅ぼしたぞ。
待ちに待った時がついにきた。
この目で、都が倒れるのを見た。」


17 しかし、このようにしたのは主です
主は、警告どおりのことをしたのです。
ずっと前から決めていた
エルサレムを破壊するという約束を実現させたのです。
容赦なくエルサレムを滅ぼし、
敵がこの町のことで喜び、
自分たちの力を自慢するように仕向けた
のです。

 

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守られる対象になることが多い小さな子供もまた悲惨な形で滅んでいる。

これを見る者には生き地獄のようなものであり、単なる罰どころか、最低最悪の悲惨な状況がもたらされているのだ。

神がそれをされている。

 

このみことばから、一つの重要な警告がある。

それは、罪を見ずにマスクをしてしまうことの危うさだ。

 

預言者がまやかしの預言をしたとあり、それが、罪を罪とせずに嘘を並べた罪と指摘している。

罪のパン種は初めは小さなものから大きく膨張していくのだが、まさにこの罪を罪としない罪が膨張し、イスラエルの民全体に及んでしまったことが、この悲惨な状況を生んだと言える。

 

罪を罪としない。これが警告だ。

イエス様にある限り、私は天国への道が開かれていることを信じている。

しかし、イエス様にあるということは、罪を罪としていくことに他ならないと、今一度、心に落とす必要がある。

 

クリスチャン同士の交わりで、自分が罪についての悔恨を発言すると、決まってイエス様が全て背負ってくださるから大丈夫だよ、と言われる。

それは事実でありそう理解しているのだが、知と霊は別であることもまたわかっているだけに、私はそこに甘んじてしまってはいけないと思う方だ。

しかし、そういうメンタリティでいて、罪が終わりになるのかと言えば、これが終わらず、また罪を犯すことになるから厄介なのだ。

ややもすると、罪はイエス様が背負ってくださるからこれくらいは大丈夫だろう、という思いで、自分の罪の寸法を測り出したりする。

私にはこの危うさがある。

 

これは、預言者が王に対して耳触りの良いことしか言わなくなることにつながると思うのだ。

自分に対して「イエス様が赦してくださるよ」と囁いて、「これくらいは大丈夫」「イスカリオテのユダよりまし」という罪を犯しかねないのだ私は。

 

罪と戦っているか、と神は言われていると思う。

正直、しんどくて泣く。

 

罪を犯さない自制を持てるように、聖霊様から力を頂くしかないと思う。

罪に立ち向かうことそのものは決心の必要がある。

聖霊様を方便にしてはいけない。

 

カルト宗教と言うのは、神仏にすがることのメリットを匂わせながら、金や奉仕の必要でがんじがらめにして自由を奪うという特徴がある。

クリスチャンではない人が、刑法で訴追されることもない罪について、私がこのように捉える姿を見ると、カルトであると思われるかも知れない。

 

しかしそれは違う。

神は既に私が天国に行くことを許してくださっている。

そのことを、信じる者である限り、他に何か条件があるのかと言うと何もない。

だから、条件で縛られているわけではないのだ。

 

罪の性質に怯えているのだと思う。

神が憎まれる罪は、膨張し続ける。

その膨張はやがて、信じる者から信じない者に変えてしまうほどまで膨張するからだ。

神なんて必要ないとか、神なんていないとか、そういう形で罪に支配されてしまうことになる、ということだ。

そうなれば、永遠のいのちなどはもう無いのだ。

 

エルサレムが小さな子供までも破壊されるに至った理由もまた見えてくる。

エルサレムの状況は、神なんて必要ない、神なんていない、という人たちにとっては、「敵にやられた」とか「戦争に負けた」でしかないだろう。

しかし、それは神によるのだ。神無き世界の悲惨さが具現化してしまっているのだ。

 

幸い、私はまだそういうところには至っていないのだが、今のうちに、「それは神がされているのであり、既に預言されていた通りのことが起こっているのである。」とするエレミヤの言葉にしっかりと耳を開いておくことが重要であることわかる。