1 そうこうするうちに、ヨアブに、「今、王は泣いて、アブシャロムのために、喪に服しておられる」という報告がされた。

2 それで、この日の勝利は、すべての民の嘆きとなった。この日、民が、王がその子のために悲しんでいる、ということを聞いたからである。

3 民はその日、まるで戦場から逃げて恥じている民がこっそり帰るように、町にこっそり帰って来た

4 王は顔をおおい、大声で、「わが子アブシャロム。アブシャロムよ。わが子よ。わが子よ。」と叫んでいた。

5 ヨアブは王の家に行き、王に言った。「あなたは、きょう、あなたのいのちと、あなたの息子、娘たちのいのち、それに、あなたの妻やそばめたちのいのちを救ったあなたの家来たち全部に、きょう、恥をかかせました。
6 あなたは、あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるからです。あなたは、きょう、隊長たちも家来たちも、あなたにとって取るに足りないことを明らかにされました。今、私は知りました。もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったでしょう。
7 それで今、立って外に行き、あなたの家来たちに、ねんごろに語ってください。私は主によって誓います。あなたが外においでにならなければ、今夜、だれひとりあなたのそばに、とどまらないでしょう。そうなれば、そのわざわいは、あなたの幼いころから今に至るまでにあなたに降りかかった、どんなわざわいよりもひどいでしょう。」

8 それで、王は立って、門のところにすわった。人々がすべての民に、「見よ。王は門のところにすわっておられる」と知らせたので、すべての民は、王の前にやって来た。」一方、イスラエル人は、おのおの自分たちの天幕に逃げ帰っていた。

 

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ダビデが父としてアブシャロムの死を悲しむのだが、ついにアブシャロムまでも、という思いがあったのだろう。

アブシャロムによって多くのダビデの子らが殺害されたのだが、そのアブシャロムまでも死ぬことになったのだから、それはもう悲しみどころではなく、絶望的な気分になってしまったのだろうと想像する。

 

しかし、言わば公人であり民の長であるダビデは、その個人的な感情に落ち込んでばかりいるわけにはいかない。

状況を察したヨアブが、統治者が取るべき態度を冷静に説いている。

 

ヨアブという人物は根っからの政治家で、個人ではなく国とか世論とか、そういうものを先読みでコントロールするのに長けていたようだ。

人間的にはあまり好きではないが、その能力はずば抜けているだろう。

実際、ヨアブの言っていることはその通りだからだ。

 

門のところに立つというのは、要は演説台に立つのと似たものだろうが、かくしてダビデはそこに立ったのだ。つまり、王としての職務を果たすに至った。

 

今日のみことばからは、感情に溺れ過ぎない、ということが示されている。

 

私は、どちらかと言えば感情的な人間で、物事の思考、判断が感情に揺さぶられてしまうところがある。

個人の感情を排して、しっかりと目指すものに対する整合性で物事を見極めよ、ということだ。意識していきたいと思う。