35 朝になると、ヨナタンは小さい子どもを連れて、ダビデと打ち合わせた時刻に野原に出て行った。
36 そして子どもに言った。「私が射る矢を見つけておいで。」子どもが走って行くと、ヨナタンは、その子の向こうに矢を放った。
37 子どもがヨナタンの放った矢の所まで行くと、ヨナタンは子どものうしろから叫んで言った。「矢は、おまえより、もっと向こうではないのか。」
38 ヨナタンは子どものうしろから、また叫んだ。「早く。急げ。止まってはいけない。」その子どもは矢を拾って、主人ヨナタンのところに来た。
39 子どもは何も知らず、ヨナタンとダビデだけに、その意味がわかっていた。
40 ヨナタンは自分の弓矢を子どもに渡し、「さあ、これを町に持って行っておくれ」と言った。
41 子どもが行ってしまうと、ダビデは南側のほうから出て来て、地にひれ伏し、三度礼をした。ふたりは口づけをして、抱き合って泣き、ダビデはいっそう激しく泣いた。
42 ヨナタンはダビデに言った。「では、安心して行きなさい。私たちふたりは、『主が、私とあなた、また、私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です』と言って、主の御名によって誓ったのです。」こうしてダビデは立ち去った。ヨナタンは町へ帰って行った。
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有名な聖句であり、私も心にいつも抱いている詩編23編「主はわが羊飼い 私には乏しい事は何もない」。
今後、いよいよサウルからの逃亡を続けることになるダビデだが、その彼を守った神様について、ダビデは詩編で歌で綴っている。
”今生の別れ”を告げたヨナタンとの関係性はダビデの信仰にとっては、重要なモニュメントになっていったことだろう。
先日、不要なものは捨ててすっきりしようと自分の衣類を整理していら、あるハンカチを2枚見つけて手を止めた。
以前通っていた教会、私が救われた教会だが、そこで私は賛美チームのバックコーラスの奉仕をしていた。そのチームのリーダーであった主にあっての姉が、私が遠方への引っ越しで教会を離れる時にくださったものだ。
毎週土曜日、賛美練習を開始する前に、分かち合いの時があったのだが、チームの皆がその週にあったことなどを話し、共に祈り合う時間があった。その時に、彼女が一人一人に対して真摯に祈ってくださったことが思い出された。
一昨年、彼女はご病気で天に帰られたので、もうこの世では会うこともないのだが、ダビデにとってのヨナタンのように、私の信仰における重要なモニュメントとして心に立ち続けると思う。
今日のみことばからは、人間関係に神様のご介入を、ということだ。
主に仕事の場面でのノンクリスチャンとの関係ということになろうが、ここに神様のご介入を祈ろうと思う。またしっかり意識していこうと思う。
私にとって人間関係は、共に仕事をする関係、仲が良い、気が合うなど、そういう関係を想像するが、まずは福音をもっと広げるためにあるものであるはずだ。そのことを思い出せばスムーズかと思う。