18:1 ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛した。

 

18:2 サウルはその日、ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。

18:3 ヨナタンは、自分自身のようにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。

18:4 ヨナタンは着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。

 

18:5 ダビデは、サウルが遣わすところどこへでも出て行き、勝利を収めた。サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての兵たちにも、サウルの家来たちにも喜ばれた。

 

18:6 皆が戻り、ダビデがあのペリシテ人を討ち取って帰って来たとき、女たちは、イスラエルのすべての町から、タンバリンや三弦の琴をもって、喜びつつ、歌い踊りながら出て来て、サウル王を迎えた。

18:7 女たちは、笑いながら歌い交わした。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った。」

18:8 サウルは、このことばを聞いて激しく怒り、不機嫌になって言った。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あれにないのは王位だけだ。」

18:9 その日以来、サウルはダビデに目をつけるようになった。

 

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サウルの特徴として、人から好かれたい、尊敬されたい、あとは、かっこつけ、なところが多分にあったように思う。メンツを保ちたいわけだな。

 

戦場で活躍し、破竹の勢いであるダビデに対し、自分が出来なかったことを見せつけられるような気分であったかも知れない。

 

そして、民衆までもがダビデをサウルより賞賛し出したのだから、これはもうサウルにとっては看過しがたい状況ということになるだろう。

 

私は若い頃、このような感情を抱いたことがある。

とある提案が当時の上司によって却下され、その上司か他の誰かの企画が採用されたのだ。

私はこの採用された企画が失敗すればよいのに、と思った。

そして、その希望は叶いうまくいかなかったのだが、その結果、会社の経営状況悪化につながってしまった。

元も子もない、という言葉があるが、まさにそれだ。

 

私の中の”サウル性”に気をつけなければならない。

自己実現を目標の根本的な要素にすることは、いつも悪いわけではない。それを根っことして、人は頑張ることも出来るのだ。

しかし、それを達成するためには土台となる前提がいつもあること、それを度外視しての実現はあり得ないことを覚えるべきだ。

私にとっての土台が問われている、とも言える。

それは、神様・永遠のいのち、である。

しかしこれはストイックな考えと言うよりも、「俺には神様がいるじゃないか」という強固な土台への気づきと言える。

土台である会社は、会社員の働きを必要とする。会社員の働きは、会社があってこそ。

つまり、会社と会社員は広義の相互依存関係にあると言える。

しかし、この神様と私の関係は、依存という点では一方的だ。私は神様に依存しているが、神様が私に依存されることは絶対にない。

ということは、私は一方的な利益を受けることになるが、そういう神様に対しての信頼と感謝の思いから出る奉仕、従順が私の回答になってくる。

これを忘れてはいけないよ、と今日、神様は言われる。

 

人を見てエエかっこなんかしなくてもいい。

神様という永遠の土台に喜ばれること、そういう人間になっていくこと。

それが、私個人において実現したい目的であることを見失わずにいようと思う。