15:24 サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、主の命令と、あなたのことばに背いたからです。
15:25 どうか今、私の罪を見逃してください。そして、私が主を礼拝することができるように、一緒に帰ってください。」
15:26 サムエルはサウルに言った。「私はあなたと一緒に帰りません。あなたは主のことばを退け、主があなたをイスラエルの王位から退けられたからです。」
15:27 サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルが彼の上着の裾をつかんだので、上着は裂けた。
15:28 サムエルは彼に言った。「主は、今日、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれた隣人に与えられました。
15:29 実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔やむこともない。この方は人間ではないので、悔やむことがない。」
15:30 サウルは言った。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、主を礼拝します。」
15:31 サムエルはサウルについて帰り、サウルは主を礼拝した。
15:32 サムエルは言った。「アマレクの王アガグを、私のところに連れて来なさい。」アガグは、喜び勇んで彼のもとに来た。アガグは「きっと、死の苦しみが去るだろう」と思ったのであった。
15:33 サムエルは言った。「おまえの剣が、女たちから子を奪ったように、おまえの母も、女たちのうちで子を奪われた者となる。」こうしてサムエルは、ギルガルにおいて主の前で、アガグをずたずたに切った。
15:34 サムエルはラマへ行き、サウルはサウルのギブアにある自分の家へ上って行った。
15:35 サムエルは死ぬ日まで、再びサウルを見ることはなかった。しかしサムエルはサウルのことで悲しんだ。主も、サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた。
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神様を知っていくことは、人生をかけてのテーマであるのだろうが、例えばこの神様の「悔い」についてもその要素の一つとして重要なポイントかと思う。
実は、モルモンとかエホバには細心の注意を払いながら、ネットで、神様の「悔い」についてあれこれ調べてみた。
神学的に、ということになるだろうが、集約すれば、サウルを王としたことを悔やまれたのは、いわゆる「後悔」のことではなく、激しい悲しみ、ということが見えてきた。
この新改訳でも、サムエルはサウルのことで悲しみ、「主も」とあって「悔やまれた」となっていることに気づく。
神様の悲しみ。まず思い出されるのは、アダムとエバが善悪の木の果実を取って食べた結果、死が人に入り込んだ時のこと。
彼らを探し回られる主の姿を想像すると、本当に心が痛くなる。
油注がれたサウルが、アダムと似た状況になってしまったことは、これは常時私自身にも起きていることなのだと思う。
死の棘は罪として突き刺さっており、それを自ら抜くことは出来ないのであると、あらためて痛感する。
「どうかこの棘を抜いてください」という思いで悔い改めてイエス様にすがり、もっと変えられていきたい。