9:15 主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて告げておられた。

9:16 「明日の今ごろ、わたしはある人をベニヤミンの地からあなたのところに遣わす。あなたはその人に油を注ぎ、わたしの民イスラエルの君主とせよ。彼はわたしの民をペリシテ人の手から救う。民の叫びがわたしに届き、わたしが自分の民に目を留めたからだ。」

9:17 サムエルがサウルを見るやいなや、主は彼に告げられた。「さあ、わたしがあなたに話した者だ。この者がわたしの民を支配するのだ。」

9:18 サウルは、門の中でサムエルに近づいて、言った。「予見者の家はどこですか。教えてください。」

9:19 サムエルはサウルに答えた。「私が予見者です。私より先に高き所に上りなさい。今日、あなたがたは私と一緒に食事をするのです。明日の朝、私があなたを送ります。あなたの心にあるすべてのことについて、話しましょう。

9:20 三日前にいなくなったあなたの雌ろばについては、もう気にかけないようにしてください。見つかっていますから。全イスラエルの思いは、だれに向けられているのでしょう。あなたと、あなたの父の全家にではありませんか。」

9:21 サウルは答えて言った。「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」

9:22 サムエルはサウルとそのしもべを広間に連れて来て、三十人ほどの招かれた人たちの上座に着かせた。

9:23 サムエルは料理人に、「取っておくようにと渡しておいた、ごちそうを出しなさい」と言った。

9:24 料理人は、もも肉とその上にある部分を取り出し、サウルの前に置いた。サムエルは言った。「これはあなたのために取っておいたものです。あなたの前に置いて、食べてください。その肉は、私が民を招いたと言って、この定められた時のため、あなたのために取り分けておいたものですから。」その日、サウルはサムエルと一緒に食事をした。

9:25 彼らは高き所から町に下って来た。それからサムエルはサウルと屋上で話をした。

9:26 彼らは朝早く起きた。夜が明けかかると、サムエルは、屋上にいるサウルに叫んだ。「起きてください。あなたを送りましょう。」サウルは起きて、サムエルと二人で外に出た。

9:27 二人が町外れへと下っていたとき、サムエルがサウルに「しもべに、私たちより先に行くように言ってください」と言ったので、しもべは先に行った。「あなたは、ここにしばらくとどまってください。神のことばをお聞かせしますから。」

 

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イスラエルの初代の王となるサウルが主の御心でサムエルとついに会う場面。

 

サムエルにとっては、主の取り計らいであることがわかっていたので粛々と進めるのみ、という様相。

サウルにとっては、何が何だかわからない、というような雰囲気だが、サムエルと屋上で話をして事の成り行きは理解したはずだ。

 

ふと思ったのが、ドナルド・トランプが大統領になった時のことだ。

彼はそもそも聖書の神、イエス・キリストへの信仰など無い人物だが、米で言うエヴァンジェリカルズ地盤からの支持を強固にするためにクリスチャンであるということにした。

プーチンもそういう一面がある。というか、大胆にロシア正教会を政治利用している。

現ロシア正教会の司教は元KGBであるとされ、プーチンと同じサンクトペテルブルク出身。ウクライナ侵攻を祝福しているのだから驚きだ。

プーチン本人も自らがクリスチャンであるとしているが、これもロシア正教会利用の一環であるとしか思えない。

ちなみにロシアは人口の40%が同正教会信徒だ。

 

さて、サウルをそういう点で見ると、そもそも信仰が無く、サムエルのことさえ知らない人物であったが、ただ神の御心によって王になる。

サムエルが何をサウルに説明したのかはわからないが、サウルはある日突然国王となるという事実を通して、神の存在を理解したことは確かだろう。

しかし、サウルにとって神とは、実存の不思議な存在、でしかなかったのではないかと推測する。あくまで私の推測。

後にサウルは、嫉妬心からダビデを追い回すことになるのだが、これは信仰者の姿からは程遠い。一方ダビデはサウルを「神が選ばれた方」として殺害をためらい続けた。

このパラドックスを見ると、神が後の存在、つまり我々現代人に向けてクリスチャンのあるべき姿を伝えるがためのメッセージであったのではないか、と感じさえする。

 

いずれにせよ、サウルは王となる。

しかしそれには準備が必要だということを今日のみことばから教えられる。

 

今、仕事上で危機的な場面を迎えている。しかしこれも神様の意図あってのことだと思っている。

思いがけなくサウルが王となったように、ある手続きを経て、思いがけない変化があるのではと思う。

もちろん、それが王になると言うような利得めいた話ばかりではなく、何か損失的な変化になるかも知れない。

どのような状況であっても、神から離れないことだけが、私に出来る最善である。

今は手続きの時、焦灼の心を祈りによって抑えて前進するのみだ。

私は世に名前を轟かせるトランプでもプーチンでもなし、初代イスラエル国王のサウルでもない。イエス・キリストこそが私の主であると、心から宣言するクリスチャンである。