2:22 さて、エリはたいへん年をとっていたが、息子たちがイスラエル全体に行っていることの一部始終を、それに彼らが会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ていることを聞いていた。
2:23 それでエリは彼らに言った。「なぜ、おまえたちはそんなことをするのか。私はこの民の皆から、おまえたちのした悪いことについて聞いているのだ。
2:24 息子たちよ、そういうことをしてはいけない。私は主の民が言いふらしているうわさを聞くが、それは良いものではない。
2:25 人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、主に対して人が罪を犯すなら、だれがその人のために仲裁に立つだろうか。」しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころだったからである。
2:26 一方、少年サムエルは、主にも人にもいつくしまれ、ますます成長した。
2:27 神の人がエリのところに来て、彼に言った。「主はこう言われる。あなたの父の家がエジプトでファラオの家に属していたとき、わたしは彼らに自分を明らかに現したではないか。
2:28 わたしは、イスラエルの全部族からその家を選んでわたしの祭司とし、わたしの祭壇に上って香をたき、わたしの前でエポデを着るようにした。こうして、イスラエルの子らの食物のささげ物をすべて、あなたの父の家に与えた。
2:29 なぜあなたがたは、わたしが命じたわたしへのいけにえ、わたしへのささげ物を、わたしの住まいで足蹴にするのか。なぜあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて、わたしの民イスラエルのすべてのささげ物のうちの、最上の部分で自分たちを肥やそうとするのか。
2:30 それゆえ──イスラエルの神、主のことば──あなたの家と、あなたの父の家は、永遠にわたしの前に歩むとわたしは確かに言ったものの、今や──主のことば──それは絶対にあり得ない。わたしを重んじる者をわたしは重んじ、わたしを蔑む者は軽んじられるからだ。
2:31 見よ、その時代が来る。そのとき、わたしはあなたの腕と、あなたの父の家の腕を切り落とす。あなたの家には年長者がいなくなる。
2:32 イスラエルが幸せにされるどんなときにも、あなたはわたしの住まいの衰退を見るようになる。あなたの家には、いつまでも、年長者がいない。
2:33 わたしは、あなたのために、わたしの祭壇から一人の人を断ち切らないでおく。そのことはあなたの目を衰えさせ、あなたのたましいをやつれさせる。あなたの家に生まれてくる者はみな、人の手によって死ぬ。
2:34 あなたの二人の息子、ホフニとピネハスの身に降りかかることが、あなたへのしるしである。二人とも同じ日に死ぬ。
2:35 わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司を、わたしのために起こし、彼のために確かな家を建てよう。彼は、わたしに油注がれた者の前をいつまでも歩む。
2:36 あなたの家の生き残った者はみな、銀貨一枚とパン一つを求めて彼のところに来てひれ伏し、『どうか、祭司の務めの一つでも私にあてがって、パンを一切れ食べさせてください』と言う。」
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神様がどのようなお方であるかが明確にわかる。
わたしを重んじる者をわたしは重んじる。蔑む者を蔑む。
エリの子、ホフニ、ピネハスの罪を分解すると、
(1)イスラエル全体に対して影響力のある祭司であるエリの、その場所で行われた捧げものに関わる侮辱行為、姦淫→イスラエル全体への侮辱にあたる
(2)神を恐れない、神などはいないようかのような神様への無視、侮辱
(3)エリが言う「人に対する罪」にとどまらず「神に対する罪」
(4)エリが息子らの好き放題を事実上放置した罪→神より息子らを重視した
このようになるかと思う。いずれも、神などいない、として、欲望のままに生きるということにはなる。
私が特に身に覚えるのは(3)と(4)だ。
私には人に言いたくない悪習慣がある。
誰かを傷つけたりするものではないから、特にそれについて咎められることはない。
しかし、神様が見られていることがわかっているのに、なかなかやめられない。
私がもし今死ぬことになったとしたら、最も気にかかることだ。
イエス様が十字架にかかってくださったことで、私の全ての罪は神の前で無かったことにしてくださることを信じるが、それでもまだ罪を犯す自分がいる。
神様は一つの条件をつきつけられている。
それは、神を重んじない者には約束は果たされないということだ。
この罪の点において、私は神様のことを軽んじている。
ホフニ、ピネハス、またエリと同じなのだな、と残念に思う。
正直、クリスチャンにならなければ、神様のことを信じなければ、イエス様のことなど知らなければ、こんな気持ちになることは無かっただろう。
だから、信じることとは面白おかしい毎日が与えられることではなく、むしろ苦しみとか忍耐が求められることだと思える。
エリの一族がその後どうなったか、という現実をもって、私は自分の罪に対してしっかりと対決しなければと思う。
全ては、私のために神様が与えてくださっていることだ。