2:1 ハンナは祈った。「私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私があなたの救いを喜ぶからです。

2:2 主のように聖なる方はいません。まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。私たちの神のような岩はありません。

2:3 おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことばを口にしてはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは測り知れません。

2:4 勇士が弓を砕かれ、弱い者が力を帯びます。

2:5 満ち足りていた者がパンのために雇われ、飢えていた者に、飢えることがなくなります。不妊の女が七人の子を産み、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。

2:6 主は殺し、また生かします。よみに下し、また引き上げます。

2:7 主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。

2:8 主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。まことに、地の柱は主のもの。その上に主は世界を据えられました。

2:9 主は敬虔な者たちの足を守られます。しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。人は、自分の能力によっては勝てないからです。

2:10 主は、はむかう者を打ち砕き、その者に天から雷鳴を響かせられます。主は地の果ての果てまでさばかれます。主が、ご自分の王に力を与え、主に油注がれた者の角を高く上げてくださいますように。」

2:11 エルカナはラマにある自分の家に帰った。幼子は、祭司エリのもとで主に仕えていた。

 

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昨日、仕事のことで、ぶっちゃけて言えばブチギレしてしまった。ずっと我慢していたのことがあったのだが、会話の途中で急に結んでいた紐が解けたようになり、わっと強い口調で溢れ出してしまった。

 

内容としては、冷静に伝えるようなものであるのに、そこが私の弱さとか悪癖であると思う。

いや、いつか言ってやろうと、手ぐすね引いていたようなところがある。いわゆる「性格が悪い」やつなのだな私は。

 

ハンナは祈りの中で、神様を賛美し、まるで預言者のような言葉を発している。

彼女がサムエルを宿した背景には、ペニンナとの関係の中で悔しい思いを重ねるという経緯があった。

しかし、ハンナはペニンナに対して暴虐をはたらいたわけではなく、やはり極まった祈りがあった。

 

そして、その願って願って生まれたサムエルを神様に捧げる、つまり自らの手から神に向かって手放すというその瞬間に至り、この賛美の祈りが出てくるのだ。

それは、感情よりも神様を優先している姿と見ることが出来る。

 

祈りの中で、怒りを殺すのではなく、神様にゆだねていたのだろうと思う。

 

私は、ひたすら我慢していたが、その内容を真剣に祈ったことはなかった。

祈るべきであったとは、今思い返す後悔だ。

 

ハンナと私の違いは、聖霊による満たしの違いだと思う。

確かに、私には私自身を根本的に変えてしまった聖霊様が住んでくださっていることは感じている。

しかし、聖書に登場する多くの人物のように、また直に交わってきたある教会の教職者や信徒さんたちのように、圧倒的な満たしによって、自分が最早自分のものではなく、神様に用いられることのみのために存在しているというような、そのような者になれていない。

 

いつも祈っていることではあるのだが、聖霊様が私に満ちてくださるように祈ろうと思う。

残念な自分ではあるけれど、それでも神様はご自分が愛であるという理由で、私を愛してくださっていることだけは、固く握っている。

だから、その神様を信じて、祈り、或いは手放していくことが、今私に求められる信仰の成長であるのだなとわかる。