2:1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2:2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。
2:4 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
2:5 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
2:10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
2:11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
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口に出して言うことで、何かパワーがわいてくるような、元気になるような言葉があるが、そのうちの一つは「イエス様は私の主です」と言うことだ。
おまじないのようなもの、と言われるかも知れないが、そういうものではなく、気づき・思い出しに近いもので、自分が満たされるべきもの・満たされているものをあらためて知ることで、平安を得ることができる。
そのイエス様は、ご自分が神であることを捨てて人となられ、人として最も辛い苦しみに選んであわれた。
それは十字架での身体的な痛みはもちろんそうなのだが、それよりもはるかに苦しいことは、父である神に見捨てられるということではなかったか。
そこまでご自分を下げられたイエス様を覚える。
今日から仕事で新しい動きがある。
不安もあるし、正直、なんだか逃げ出したい気持ちがある。
自分はその仕事においてどのようにあるべきか。
私は、誰よりも低く劣った者でいようと思う。
そうは出来ないとは考えず、そうあることでいずれ上げられることを期待する。