5:12 私の兄弟たち。とりわけ、誓うことはやめなさい。
天にかけても地にかけても、ほかの何にかけても誓ってはいけません。
あなたがたの「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」でありなさい。
そうすれば、さばきにあうことはありません。
5:13 あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。
喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。
5:14 あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15 信仰による祈りは、病んでいる人を救います。
主はその人を立ち上がらせてくださいます。
もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
5:16 ですから、あなたがたは癒やされるために、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。
正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。
5:17 エリヤは私たちと同じ人間でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、雨は地に降りませんでした。
5:18 それから彼は再び祈りました。すると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。
5:19 私の兄弟たち。あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すなら、
5:20 罪人を迷いの道から連れ戻す人は、罪人のたましいを死から救い出し、また多くの罪をおおうことになるのだと、知るべきです。
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「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」というのは、マタイ5章のイエス様のいわゆる山上の垂訓の一つであると思うが、非常に大事なことであると思っている。
はいなら実行、いいえなら不実行・実行不可能、これをはっきりとさせていくことは信用の積み上げのようなものだ。
特に不実行・実行不可能のいいえを言う時は、濁った言葉を使いがちだが、はっきりとするべきであると、みことばは語られる。
もう一つ、今日のみことばから悟らされるのは、祈りだ。
祈りは、それはもう神との関係において重要な行いであるのだが、ここで言われているところは「祈られる」重要性である気もする。
祈られる、というのは、もしも罪についてなら告白の必要がある。
何か苦しみであったとしても、どう苦しいのか、楽になりたいのかを告白してから祈ってもらうことになる。
つまりこれは、文章化して他人に伝える必要があるということだ。
私はほぼ毎晩のように家内と祈りの時間を持つ。
これはもう習慣化しているものだが、私はそれを主導したのではなく、神への依存度が強力な妻の方からの提案でそうなった。
そしてこのことは大事なのだ。
これを今も維持出来ていることは感謝すべきことだとあらためて思う。
振り返ると、祈られることはめちゃ大事だ。
今、思い出すだけでも、祈られることによって窮地を脱したことは複数回あった。
そして、何よりも大事なことは、イエス様ご自身がとりなしてくださっていることだ。
だから、文章化して祈ってもらうことはまた、イエス様に対しても重要だということだ。
今晩もまた、家内との祈り会はある。
祈ってもらう、ことをしっかりと意識しようと思う。