4:11 兄弟たち、互いに悪口を言い合ってはいけません。
自分の兄弟について悪口を言ったり、さばいたりする者は、律法について悪口を言い、律法をさばいているのです。
もしあなたが律法をさばくなら、律法を行う者ではなく、さばく者です。
4:12 律法を定め、さばきを行う方はただひとりで、救うことも滅ぼすこともできる方です。
隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。
4:13 「今日か明日、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をしてもうけよう」と言っている者たち、よく聞きなさい。
4:14 あなたがたには、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。
あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。
4:15 あなたがたはむしろ、「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」と言うべきです。
4:16 ところが実際には、あなたがたは大言壮語して誇っています。そのような誇りはすべて悪いことです。
4:17 こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。
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罪であるとわかりながらそれを行うこと、行ってしまうことの一つが、悪口である。
私には。
特に、世を愛する人たちとの交わりの時、この誘惑は顕著に出てくる。
このことについて、まだ若いフィリピン人の若者の態度が素晴らしかったのだが、彼は、その場に不在のとある人物の悪口が出だした時、「ここにいていない人物の話をするようはやめよう」と言った。
こんな発言は、もしかするとフィリピンとか彼が生きてきたコミュニティでは普通なのかも知れない。
しかし、私にとっては新鮮だった。
なぜなら、私にはそう簡単に言えることではないからだ。
今日のみことばでもう一つ注目するのは、
なすべき良いことを知っていながら行わないことを罪としているところだ。
刑法上の犯罪成立要件の一つは「行動」である。
しかし、聖書の(=つまり神の)罪成立要件は、この辺が根本的に異なっている。
犯罪行為を想像するだけでも罪と定められるし、こちらのように、行動をしないこと、でさえ場合によっては罪なのである。
これでは到底、神の裁きから逃れられる人間などいない。
すべての人は罪を犯すのだ。
さてその行動しない罪にも焦点を当てると、そういう悪口などの誘惑をはっきりと拒絶する姿勢が求められるのだと思う。
意気地ない私だが、そこは自分のためではなく(遠回しには自分のためと言えるが)、神の栄光のために、決然とした態度をとっていこうと思う。