4:1 あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。
4:2 あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。
4:3 求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。
4:4 節操のない者たち。世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。世の友となりたいと思う者はだれでも、自分を神の敵としているのです。
4:5 それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。
4:6 神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」
4:7 ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
4:8 神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。
4:9 嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。
4:10 主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます。
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年末は、ここ数年なかった活発な動きをした。
結構な距離を移動した。
年明け、コロナ陽性に。
正月早々から診てくださるお医者様には頭が上がらない。
私の2023年は、コロナ感染ではじまった。
聖書を読み、神の声を聞くことは、楽しいと言う方が多いが、私にとっては「楽しい」ではないように思える。
毎日、神から訓示を受け、それに従うかどうかという決断をつきつけられるのだから。
今日のみことばも、色々な解釈で読むことが出来るが、自分が率直に感じ取るのは、まさにその字義のままであり、特に、
・世を愛する=自分の贅沢のために金品を欲しがる、性欲など快楽に溺れる
・神に敵対する=神に敵対する
このように私は受け取る。
そして、
「喜びを憂いにかえなさい」
と言われるのだから、これを読んでどこが楽しいのだと思ってしまう。
なぜなら、私はやはり、世を愛する者だからだ。
神をいかに信頼しているか、それを信仰と言うのだろうが、それには”状態”があるように思う。
すごく信頼している時、あまり信頼していない時。
自分の不信仰を心から残念に思うのだが、私の信仰とはそのようなフラフラしたものである。
今日のように明確に「特に必要でもないのに、自分が欲しいなあと思っている贅沢品はあきらめなさい」と言われたりすると、出来ればあきらめたくないので、あきらめなくてもよい解釈をしている牧師先生がいないものかとブログなどを漁ってみたりするのだ。
しかし、なんとか今日は、まず今日は、従おうと思う。
世の価値観においては、欲望を収めることを不健康扱いすることもある。
しかしその世を愛することは、神に敵対することなのだ。
神に敵対することだと聖書が言う、その根拠だけで、従おうと思う。
神はそのように程度の低いレベルで従おうとする私を「当然のことじゃ」と
言い放つようなお方ではない。
きっと後に想像だにしない程のめぐみで応えてくださるから。