29:15 ラバンはヤコブに言った。「あなたが私の親類だからといって、ただで私に仕えることもないだろう。どういう報酬が欲しいのか、言ってもらいたい。」
29:16 ラバンには二人の娘がいた。姉の名はレア、妹の名はラケルであった。
29:17 レアは目が弱々しかったが、ラケルは姿も美しく、顔だちも美しかった。
29:18 ヤコブはラケルを愛していた。それで、「私はあなたの下の娘ラケルのために、七年間あなたにお仕えします」と言った。
29:19 ラバンは、「娘を他人にやるよりは、あなたにやるほうがよい。私のところにとどまっていなさい」と言った。
29:20 ヤコブはラケルのために七年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。
29:21 ヤコブはラバンに言った。「私の妻を下さい。約束の日々が満ちたのですから。彼女のところに入りたいのです。」
29:22 そこでラバンは、その土地の人たちをみな集めて祝宴を催した。
29:23 夕方になって、ラバンは娘のレアをヤコブのところに連れて行ったので、ヤコブは彼女のところに入った。
29:24 ラバンはまた、娘のレアに、自分の女奴隷ジルパを彼女の女奴隷として与えた。
29:25 朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。「あなたは私に何ということをしたのですか。私はラケルのために、あなたに仕えたのではありませんか。なぜ、私をだましたのですか。」
29:26 ラバンは答えた。「われわれのところでは、上の娘より先に下の娘を嫁がせるようなことはしないのだ。
29:27 この婚礼の一週間を終えなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげよう。その代わり、あなたはもう七年間、私に仕えなければならない。」
29:28 そこで、ヤコブはそのようにした。すなわち、その婚礼の一週間を終えた。それでラバンは、その娘ラケルを彼に妻として与えた。
29:29 ラバンは娘のラケルに、自分の女奴隷ビルハを彼女の女奴隷として与えた。
29:30 ヤコブはこうして、ラケルのところにも入った。ヤコブは、レアよりもラケルを愛していた。それで、もう七年間ラバンに仕えた。
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ヤコブは、盲目となった父イサクに対して、自分はエサウだと偽って祝福を勝ち取るという、貪欲とも言える人物である。
ここでもその性質は見える。貪欲と言うと、言葉が違うかも知れない。勝ち取ることに対して凄まじい執着心がある、ということだ。
ラバンの企みはみえみえで、合計で14年間もの長期間に渡って無料でヤコブを使えるという、なんとも計算高いというか汚い考え方である。
ラバンもまた貪欲と言えるのだが、ヤコブとのパラドックスがある。
ラバンには、あくまでも金目のものへの執着心や計算高さが見える。かつて、アブラハムの遣いであるエリエゼルがラバンのもとを訪れた時、妹であるリベカを嫁に出すことを決めた要因は、金の腕輪など、金品に目がくらんだからである。
一方、ヤコブのそれは、とても純粋なところからくるものだ。神の祝福に対する執着心、ラケルに対する恋心。それを獲得するためには全てを投げ打って、手段を選ばない姿勢がある。計算高くはなくストレートな行動が目立つ。
今の世の中、ラバン型とヤコブ型、どちらの方が優秀と言われるだろうか、と、ふと考えた。
ラバン型が優秀とされて、”できる”とされるだろうなと思う。
しかし、神はヤコブを祝福される。
神の価値観は、この世とは違うのである。
ただ神の祝福には、ラバンが望んだような資産的なものの獲得(それそのものではないこともあるが悠々とした心配がなく平安のある毎日)をも含まれている。
これは、アブラハムへの祝福を見ても明らかだ。これを忘れてはならない。
この場面でのヤコブについては、その執着心の行動的本質が見て取れる。
ラケルに対しての恋心は、時間的損失をもいとわないというヤコブの行動を引き起こしているのである。
ラバンの画策をヤコブがわからないはずもなく、ただそのヤコブの純粋な心が、そういう損をも乗り越えているのである。
私のことではないが、親類がある被害を受けそうだということで、昨日から苛立った気持ちがある。
しかし、もう一度大事なことを思い出してみる。
何が大事かと言えば、高齢であるその親類に平安がなくなることである。
私が苛立っているのは、まさにラバン型の考えで、金が誰かに取られることを苛立っているのである。
どうすればその親戚に平安をもたらすことが出来るのか。ヤコブ型で考えてみることにする。
自分の金銭的損失がそこであったとしても、神は必ず修復してくださるから。