28:1 イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じた。「カナンの娘たちの中から妻を迎えてはならない。
28:2 さあ立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻を迎えなさい。
28:3 全能の神がおまえを祝福し、多くの子を与え、おまえを増やしてくださるように。そして、おまえが多くの民の群れとなるように。
28:4 神はアブラハムの祝福をおまえに、すなわち、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫に与え、神がアブラハムに下さった地、おまえが今寄留しているこの地を継がせてくださるように。」

28:5 こうしてイサクはヤコブを送り出した。彼はパダン・アラムの、ラバンのところに行った。ヤコブとエサウの母リベカの兄、アラム人ベトエルの子ラバンのところである。

28:6 エサウは、イサクがヤコブを祝福したこと、またパダン・アラムから妻を迎えるために彼を送り出したことを知った。イサクが、ヤコブを祝福して送り出したときに、カナンの娘たちから妻を迎えてはならないと命じ、
28:7 ヤコブが、父と母の言うことに聞き従って、パダン・アラムへ行ったことも。

28:8 さらにエサウは、カナンの娘たちを、父イサクが気に入っていないことを知った。
28:9 それでエサウはイシュマエルのところに行き、今いる妻たちのほかに、アブラハムの子イシュマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻として迎えた。

 

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昨日、教会でのフェローシップに参加せずに、とっとと帰ってしまった。

私が属するグループが気に入らないとかそういうことではなく、英語で話をするので、そこまで英語が達者ではない私には、とてもストレスがかかる。

それが限界点あたりに来ると、私は休んでしまうのだ。

 

本来、信仰者としての私のあるべき態度は、言語の難しさがあるなら、それについてクリア出来るように願い祈ることが必要だ。

しかし、それをせずにグループを放棄してしまうことは、自分の態度はいかがなものかと感じる。

 

私のそのような考えとか行動は、どこかこのエサウの姿に似ているところがあるのでは、と思った。

 

エサウはカナン人の妻を既にとっていたが、イサクがヤコブに告げた「カナン人から妻をとってはいけない」という言葉を、今さらながら守ろうとしている。

それで、イサクの腹違いの兄弟であるイシュマエルの娘を新しい妻として迎えたというわけだ。

イシュマエルはアブラハムが子孫を残すためという人間的な目的によって生まれた人物で、この血筋から妻を迎えるということは、イサクがここで言うカナン人から妻をとってはならない、とヤコブに伝えた主旨とは、かなりずれてくる。

 

的外れ、ということだ。

霊的的外れ、エサウのこれまでの言動は、一貫してこのような姿に移る。

 

英語での理解が不得手であることは、主にあっての兄弟姉妹の関係を築くこととはそれほども関係が深くない。

何故なら、英語なら、なんとかなるからだ。

だから、私はやはり、的外れなストレスを持ち、悩んでいるのだろうと思った。

 

態度を改めなければ。