1:1 はじめに神が天と地を創造された。
1:2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
1:5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
1:6 神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」
1:7 神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。
1:8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
1:9 神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。
1:10 神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。
1:11 神は仰せられた。「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」すると、そのようになった。
1:12 地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。
1:13 夕があり、朝があった。第三日。
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聖書における、始まりの書、その最初の部分。
お馴染みと言えばそうなのだが、いつもこれを真実かどうかを信じるか、と問われるところだ。
神は今ある物質の全ての創始であるが、その物質が生まれる前から存在し、神には始まりがなければ終わりもない。永遠の存在であることを思い出させるところ。
私はまたこの神の永遠性と、物質の始まりの書にたどり着き、ここでこれは真実であることを宣言したい。
このことや、これから始まる聖書に書かれている内容は、全てが真実であり、伝説や物語などではない。
これは私が見て来たことではない限り、信じるか認めるかしか出来ないし、歴史上の出来事である限りは、実証も出来ない。
しかしこれは、進化論についても同じことが言える。
教科書で教えられるから、ということで、当然のこととされている進化論も、考えてみれば滑稽なものだ。
単細胞が長い時間が経つと分裂を始め、やがて水中の生物となり、更に時間が経って陸で暮らしはじめ、それが人になったと言う。これを実証することは不可能だ。
ところが、この進化論をベースとして進められている物事も結構あるから(教育、教科書そのものなど)、一応の仮肯定であるのに、動かしがたい絶対条件となっている。
神は全てを創造された。
その意図を持って。
人、一人一人にも意図を持っておられる。
私は、自然現象で偶発的に発生した人間の末裔などではない。
あっても自分の親による子に対する思惑、程度の計画が私にあるのではない。
神は私に計画を持っておられ、私に目的を持っておられる。
つまり、私にはそもそも作られた理由が存在している。
私は神の所有物である。
だから、神が私に計画されていることを見つけ、それを実行していくことにこそ、私の人生の合理性がある。