1コリント12
1 さて、兄弟たち。御霊の賜物については、私はあなたがたに知らずにいてほしくありません。
2 ご存じのとおり、あなたがたが異教徒であったときには、誘われるまま、ものを言えない偶像のところに引かれて行きました。
3 ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。
4 さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。
5 奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。
6 働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。
7 皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。
8 ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。
9 ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒やしの賜物、
10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
11 同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。
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私にはあわれみの賜物があると、勝手に思っている。
以前は、そのようなものではなく、もっと特別な、もっと華やかなような、そういう賜物が与えられるのだと思っていた。
その可能性は否定しないが、既に与えられて、自分自身がそうであるというアイデンティティがあるものは何かと言えば、私にはあわれみだと思える。
コロナの影響で教会での礼拝が出来なったこともあり、奉仕もろくに行っていない。
以前行っていた教会では、ものすごく奉仕をしていたが、引っ越しして今の教会に移ってきてからもう6年経つが、ちゃんと奉仕をしていない。
私には自分でそれと感じるものがあるのだから、それが奉仕で用いられるように、思い切った一歩を踏み出すべきだと思える。今日のみことばから。