1コリント10
1 兄弟たち。あなたがたには知らずにいてほしくありません。私たちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を通って行きました。
2 そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、
3 みな、同じ霊的な食べ物を食べ、
4 みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。


5 しかし、彼らの大部分は神のみこころにかなわず、荒野で滅ぼされました。
6 これらのことは、私たちを戒める実例として起こったのです。彼らが貪ったように、私たちが悪を貪ることのないようにするためです。


7 あなたがたは、彼らのうちのある人たちのように、偶像礼拝者になってはいけません。聖書には「民は、座っては食べたり飲んだりし、立っては戯れた」と書いてあります。
 

8 また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、淫らなことを行うことのないようにしましょう。彼らはそれをして一日に二万三千人が倒れて死にました。
9 また私たちは、彼らのうちのある人たちがしたように、キリストを試みることのないようにしましょう。彼らは蛇によって滅んでいきました。
10 また、彼らのうちのある人たちがしたように、不平を言ってはいけません。彼らは滅ぼす者によって滅ぼされました。


11 これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。
12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
13 あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます

 

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モーセがエジプトから率いたイスラエルの民が、カナンに至るまでに約40年かかった。

本来なら、数日程度の距離。

この間に、神はイスラエルを守りながら、厳格な罰も与えて”精錬”されたのだと思っている。

 

そもそも神にとっては、不純物でしかない私という存在は、精錬の中で取り除かれる対象であることを忘れてはならない。

 

罪を犯してもイエスが死んでくださったから許されるんでしょ、だから罪を犯してもよいというのは、とんでもない誤りであることを、自分自身に言い聞かせる。

罪はおかしてはいけないものであり、それが罪であるとわからないようになれば、もう手が付けられない。

 

ある方のメッセージをネットで視聴したが、それは映画ゴッドファーザーの話。

ギャングの一人が、殺人の悔い改めをしに教会に行く。これは荒唐無稽な悔い改めであり、自分の罪を正当化するために教会を利用しているだけだ、と。

 

本当の悔い改めとは、礼拝ではないか。

砕かれた魂を神に捧げること。

このギャングのケースなら、教会に行くのではなく、まずは遺族に対して自分がやりました申し訳なかったと出向き、警察に自主すること。

これが礼拝ではないか。

 

毎日の習慣の中でも罪は、人それぞれあると思うが、私にもいくつか悩みがある。

もうやらないと決めては崩れ、決めては崩れ、自分で自分が情けなくなる。

しかし、最も気をつけなければならないことは、私のそういう緩んだ心が、やがて信仰そのものを蝕む可能性があるということだ。

「立っていると思う者」は、情けないけれども、私もそうだと思う。

いい加減にしろ、と神からの声が聞こえたようだった。