1コリント1
1 兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。

3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
4 そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
5 それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。

6 しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
7 私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。
8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。

9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。

 

目の覚めるみ言葉。

私は先日、死期数日後という方に福音をお伝えする機会があったがうまくいかなかった。

内容は全てお話したが、それから数日後に亡くなられたあの方の魂が、果たして神に抱かれているのかどうか、今も心のしこりになっている。

自分の未熟さを悲しんでいる。伝道は言葉で伝えるが、私はパウロの言う「すぐれたことば」「説得力のある知恵のことば」ばかりを用いようと、人間的知恵に依存していたのだろうと思う。

 

人は、自分が持っているもの以上のものを、誰かに与えることなど出来ない。

私は、私が受けている福音とその恩恵への感謝のみを語ればよいのだと思う。

福音伝道は、説得ではない。

 

聖書に書かれているみことばを信じることは、簡単なことではない。

しかしこれを、人間的な言い回しを駆使して、それほど難しくない、さあ信じてみよう、と促すのが伝道であると、私は勘違いしていたのかも知れない。それは、私の知恵そのものだ。

信じるためには、神によって与えられる神の知恵の領域が必要だ。だからこそ、福音は、神の働きでないといけないのだ。

 

イエスが天に上がる前に弟子たちに対し「世界中に福音を述べ伝えよ」と命じたことを、弟子たちが実行して次世代に受け継ぎ、それが現代を生きる私個人にまでバトンが回ってきている。

天に上げられるところをその目で見た弟子たちは、イエスが人なられた神であることを確信し、自分の命を賭して福音を述べ伝えた。そのバトンが回ってきているのである。

 

イエスは今も、生きて働かれる主。

全ての統治と栄光がイエスにありますように。