ローマ5
6 実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。

7 正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。
善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。

8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

9 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。

10 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。

11 それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。

キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。

 

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アーメン。

 

神の目には、全ての人間が罪を犯している罪人である。

神は究極的に公正、正義の存在であり、罪を持つ人間を受け入れることが出来ない。

しかし、神は罪人である私たち全ての人間を愛しておられる。

では神は、その公正さを曲げることが出来ずに、罪人であるわれわれ人間をご自分のおられる天に招き入れることが出来ず、悔しい思いをしておられるのか。もちろん違う。

 

イエスキリストは、神が人となってこの世に住まわれた方。

神ご自身の存在を維持しながら、その化身のように、人に見える形として現わされたのだ。

 

人としての生涯を、無罪であるどころか、人の病を癒すなど善行を重ねられた方。

そのイエスキリストが、神の子、神の化身でありながら、苦しみを選択して十字架にかかられたのは、もちろん自分の罪のためではなく、罪人である私たちの罪のためである。

聖書には「罪による報酬は死です。」とある。私たちの罪の報いを受けられたということだ。

 

キリストの血によって義とみとめられたとは、つまり、キリストの死によって私たちの罪が取り去られ、神の正義に叶う存在になった、ということであり、天へ扉が開かれたことと同義。

 

神との和解とは、つまり、罪によって遮蔽されていた神と人間との関係が回復したということ。

これは、天に入る特権に加えて、この世での生活にも大きく好影響をもたらすという約束と言って良いかと。

 

神はこのように、罪人である私たち人間が何ら努力も善行も宗教行為もすることなく、やがてこの世を去った後に天に入ることが出来るようにされたのだが、人間側に幾つか条件を付けている。

解釈すると下の通り。

 

1、自ら罪人であると認めること。:キリストの死は、自分の罪のための死であると認めるには、自分がまずは、罪人であることを認めておく必要がある、当然。

 

2、キリストは、十字架での死の後、3日目に復活された。このことを歴史的事実であると認めて信じること。:歴史の教科書に書かれていることは、相当昔の内容が多くあり、実際には自分の目では見ていないけれど、教科書を信じるが故に、事実であったと認めている。これと同じように、キリストは十字架で死なれて3日目に復活されたことを、実際に自分の目では見ていないけれど、確かに事実であると認めること。

 

イエスキリストは、ご自分の死によって罪の赦しを確定されただけではなく、生き返り、弟子たちの前で天に上ることによって、この赦しが事実であることを保証された。

そして、この保証があるからこそ、それを見届けた弟子たちが使徒となり、迫害を受けながらも自らの命を惜しむことなく、この神による罪の赦しと天への招き、つまり福音を、広く伝えて回ったのだ。

 

 

今日の行動指針。

和解せよ。