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明日のわたしへ

昨日のわたしが今日のわたし、明日のわたしとは限らない。だから、わたしは明日のわたしに記録を送る。
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 2019年1月2日に購入して使っていた洗濯機がいよいよ寿命を迎えるかもしれない。家庭用洗濯機の寿命は10年と言われているらしいが、わたしの住まいは数十年前の建築物で、洗濯機はベランダにしか置けない。よって、劣化が早い。この洗濯機は、ここにきて三代目。一代目は旧居から持ち込んだ二層式。二代目から全自動で、洗濯が楽になったと思ったような記憶があるが本当だろうか。自分の記憶がますます信頼できない近頃である。


 話戻って。朝、洗濯機に洗濯物を放り込んで、洗剤も投入し、いつものように始動ボタンを押したが、え?なんか感触が違う。見ると、ボタンのところが、明らかにやばい。


 画像の通り、操作盤のボタンのところ、カバーが破れている。本体もヒビが入っているようだ。いや、本当は普段からわかっていてわからないふりをしていたこと。しかし、ボタンが押せないのは初めてだった。もう一度、押してみると、なんとか押せて洗濯機は動き始めた。ほーっ。


 後で家族に聞くと、「実は昨日既にボタン一回では動かなかったよ」と言う。「えー、そんな重大なこと、なんで言わないの?」、「うん、まあ」、「しかし、まだ動くから、気が付かないふりするかー」、「う、、うん」。


 突然、生活家電が壊れてもすぐに買い替えはできない。なんといっても最低生活を義務とされているのが生活保護制度の「保護」である。「家電はいつか壊れるので多少は蓄えて下さい」とケースワーカーは簡単にいうがそれは簡単なことではない。


 毎月、今月こそ貯金、3500円からならできると始めても、今月は電灯が壊れて3499円の出費だった。生活していれば毎月予想外の出費はあるけれど、予備費がないのが生活保護制度の「保護」だ。お金なんて貯まらない。それでも以前は頑張って10万円くらい貯めたことがある。それがいつの間にかなくなった。生活扶助費が段階的に下げられて、物価は上がって給付金もあっと言う間に消えていった。なんだか怖いくらいにお金が残らない。


 今日は近所に買い物に行ったけど、八百屋が休みでスーパーにいったら、キャベツがひと玉486円、半分で243円だった。家族曰く、「豚肉と変わらないね」。全く、貧乏人はキャベツを買うことにもビビってますよ。結局、普段より安かったブロッコリーを買って帰った。明日はどこかで、もう少し安いキャベツを見つけられるだろうか?


 土曜の朝、部屋の照明が点かなくなった。昨年2月に導入したシーリングライト、通販で2480円なりは2年もたなかった。常夜灯は点く。こういうLED一体化照明が突然壊れることはよくあるらしい。しかも修理できなくて買い替えだと。安価な商品を買うからだと家族に言われた。

 土曜の昼、恨み言。あの照明は、家族がデスクに踏み台乗せて登って天井に取り付けてくれたのに。LEDだからもうそんな怖いことしてとらわなくていいと思っていたのに。今度こそ脚立を買うべきか。でも結構高いし照明も3000円超えで、あわせて一万円?無理無理!考えていると、もう予定外の出費にとくらくらしてきた。気がつくと台所の冷蔵庫を移動させたり、模様替えを始めていた。
 「考え過ぎてキャパ超えたから模様替えね」と家族に見抜かれた。うん、キャパ超える事象には洗濯か掃除、しかし、外は大雨だから模様替えよ。

 夜、とりあえず、また通販でシーリングライトを注文し、キャンプ用のランプを点け、台所の電灯も点けて過ごした。なんとなく落ち着かない。いや、かなり落ち着かないのに10時過ぎには寝ていた。午前3時に飼い猫に起こされて餌をやり、こんなものを書いている。灯りって大事だなぁ。暗いの嫌だぁ。キャンプもしないのに、災害用のランプ置いていて良かった。しかしまた節約しないと。生活保護利用者の3000円超えの出費はきつい。

画像一枚め。
デスクの上のキャンプ用の赤いランプ。左側に青い絵の入ったマグカップ。右側にシーリングライトのリモコン。奥に鉛筆、右上にネットのモデム、その上にチラリとヒソカの人形。
画像2枚め。
天井。常夜灯の点いたシーリングライト。



 選挙というものに違和感のわたしです。この違和感にキチンと向き合うために本を読むことにしました。森元斎さんの「アナキズム入門」です。え?今頃?はい、そうなんです。ときどき、「わたし」が「わたしはアナキストだ」と言っていたと思いますが、なんちゃってアナキストでたいして勉強もしていなかったと思います。まあ、そんなことはどうでもよろしかろう。大事なのは今とこれから。

 森さんの本は文体も今風で読みやすく面白い。アナキズム入門というだけあって、アナキストの始祖たちの紹介になっているのですが、その筆頭に激動する19世紀のフランスに生きたピエール=ジョセフ・プルードンのお話があります。「アナーキー」という言葉を初めて使った思想家と言われる人です。フランスで繰り返される革命、しかし、貧乏人の豊かな生活は得られなかった。そんな中で、プルードンは何を考えていたか。森さんが解説します。

「・・・・彼が考えていた革命は当時、社会革命であって、政治革命ではなかった。どういうことか。
 政治革命とは文字通り、王のいない政治体制、つまり専制政治体制の打破にある。加えて言えば、ブルジョワが支配する政治体制の打破にある。彼が考える社会革命とは、これ以上に、私たちの生活やそれによって構成される社会のあり方を変えることにある。つまり体制が変わろうとも、私たち貧乏人の生活が豊かにならなければ、まったく意味などない。政治革命なんか起こしたって、私たちには何の関係もない。そうではなくて、私たちの生活が豊かになるように、根本的なレベルでの体制の、制度の革命をしなければならない、そう考えていた。」

 わたしのモヤモヤがここにありありました。日本でも世界中でも政権交代しても変わらないわたしたち貧乏人の生活、それで人々は政治や選挙に期待も希望も持てなくなっていく。わたしもそうですが、もっと突っ込んで、国家や選挙はむしろ、わたしたちから豊かさを奪っているのではないかと思い至るのです。

 「人間に対する人間の統治は、いかなる名称を装おうとも、抑圧である。社会の最高の完成は、秩序とアナルシーとの結合に存する。」(プルードン『プルードンⅢアナキズム叢書』三一書房、一九七一年、三〇〇頁)

 アナルシー、つまり「自由」、ここでは「無政府」と森さんの解説。久しぶりに「アナキズム、しっくりくるじゃん、わたし」と気分良くなって、ツイートしました。で、どうするの?・・・さあね。

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 今さらながら、政治革命ではなく社会革命を起こさねばだめなんだと思う。支配者の首をいくら掛け替えてもわたしらは豊かな生活などにはたどり着けない。もはや政権交代に夢見られるほど若くはない。ていうか、無政府主義に憧れたのは十代半ばのことで、大人になれば何かやれる気になっていたのになぁ。
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画像の説明
 新書の表紙。書いてある文字「森元斎 アナキズム入門 CHIKUMA SHINSHO ・・見せかけの土壌を変える。生活に、具体性に、自然に足をしっかりつける。地を遣うことが重要なのだ。こうしたアナキズムの基礎に基づいてマフノはコミューンを作っていった。ルクリュは進化を唱えていった。クロポトキンは相互扶助を再発見していった。バクーニンは、暴れた。ブルードンは革命を唱えた。…」ちくま新書1245