ねこぞうの命日。
2007年6月11日、2月生まれの保護ねこが家族になった。名を「ねこぞう」とつけた。当時のわたしは、鬱病で休職と復職を繰り返していた。末娘は引きこもりで一日も登校しないまま中学を卒業したばかり。ねこぞうは、わたしたちに小さな幸せを運んできた。最初に保護した方から去勢とワクチン接種もされていたが、眠っている時、怖い夢でも見たように突然、てんかん発作を起こした。それでもよく食べ、狭い部屋を飛び跳ねて遊んだ。
ねこぞうは、16歳あたりから、タンスなど少し高いところに飛ぶことがなくなった。ふざけて走り回ることもなくなって、わたしたちも「ねこぞうも年取ったね」と言うことが多くなった。それでも、猫じゃらしや小さなボールを投げてやると遊んだので、「案外、20歳より生きて猫又になるかも」など思ったりしたのが17歳だった。
ところが、18歳を過ぎると、ドライフードが噛めなくなった。ウェットフード主食にしたが、あまり食べられなくなり、便秘するようにもなった。咳をするようになり、むくみも出てきて、8月には、もういつ心臓が止まってもおかしくないと思われた。
熱い夏だったが、わたしはできるだけねこぞうと一緒にいようと思い、ベッドの足を外して、ねこぞうが上がってきやすくした。粗相してもいいように、ベッドだけでなく部屋中にペットシーツを敷いた。ねこぞうはほとんどベッドで、わたしの枕に頭をのせて寝ていた。
8月20日には水も飲めなくなった。眠っているのに目が半開きになり、起きていても目が見えていないような状態になった。8月21日夜明け前、ねこぞうが何度も飛び起きてしがみついてきた。目を見開いて、すごい力でわたしの腕にしがみつき、頭をこすりつける。苦しそうで、見ているのも辛く、思わず神頼み。「この苦しみを取り払ってください。もう十分に生きたので休ませてください」と祈り、何十年ぶりに主の祈りを唱えた。それから、ねこぞうは少し眠ったようだったが、昼過ぎて、突然、わたしの腕の中から飛び出して、床に倒れた。ねこぞうは引きつけるように足も頭も激しくのけぞらせて何か声を出した。わたしは「ねこぞう、もういいよ。もう楽になって」、「怖くないよ、大丈夫だから」と声をかけた。とても「がんばって、生きて」とは言えなかった。2025年8月21日13時半頃、ねこぞうの心臓は止まった。
わたしは暑い部屋で、ねこぞうが腐敗していくことは耐えられなかった。すぐにペットの葬儀屋を検索して予約を入れた。その日の夕方には、ねこぞうは火葬されて白い骨になった。葬儀屋から受け取った小さな骨壺はまだ熱かった。
あれから1年。ねこぞうのいない部屋。ねこぞうの食事を心配しない日々。ねこぞうの毛がついていない服。ねこぞうの爪を踏んで「痛い!」と言わなくていい床。ねこぞうが鳴かない夜。ねこぞうに起こされない早朝。もう増えることのないアルバム。ねこぞうが使っていたお椀も遺骨も部屋に置いている。たくさん写真も飾っている。でも、死者は飲まない食べないと思っているので、供え物などはしたことがない。それでも分骨していて、どこに行くにもねこぞうを連れて行く。おはよう、おやすみ、いってきます、ただいまと話しかける。骨になったのだから、よみがえりはありえないと自分に言い聞かせ続けている。諦めきれないねこぞうの死。それでも1年、ねこぞうのいない部屋を過ごした。ねこぞうコーナーを、「推し」と半分にしてみた。ねこぞうを悲しみの対象にしないための努力を始める。(まえだヒソカ)



