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今日、日本で死刑執行があった。

 2025年6月27日午前、東京拘置所でこの国はひとりの死刑囚を絞首によって殺した。この国には死刑制度があり、毎年複数の死刑確定者の命を奪ってきたが、2022年7月26日以来、死刑執行は止まっていた。この間、新型ウイルス感染の流行などがあったが、そのことが関係あったのか事情は不明だが死刑執行は確かに止まっていた。しかし今日の執行で死刑執行は再開された。死刑執行が止まってもうすぐ3年になろうとという今日、死刑執行が再開されたのは、この国は決して死刑制度をやめる気はないという日本政府の意思の表れなのだろう。

 今日、国によって殺された死刑囚は、SNSに「死にたい」と投稿していた人たち9人の命を奪い、レイプし、金銭を奪い、遺体を損壊、遺棄したなどの罪で死刑判決を受け、8年拘束されていたとのこと。犯した罪は卑劣で凶悪、被害者たちの恐怖、苦しみはいかばかりかと思う。そんなやつは人間ではない、殺されて当然とのコメントが同じSNSに飛び交っている。むしろ、どうしてもっと早く殺さなかったのか、税金の無駄使いだとの声も多い。

 死刑囚は、「地球より重い人の命」を奪ったのだから、自分の命で償うべきとされる。死刑は罰、償いなのだ。しかし、9人殺しても加害者が一人なら、一人しか死刑にできない。死刑囚を殺しても被害者は戻ってこない。死刑はちっとも論理的でない罰、償いだ。そもそも「人を殺した奴は殺されて当然」という考え方は、「地球より重い人の命」を奪ってはならないと「法」が示していることと大きく矛盾している。

 戦争は、「敵国人」の命は奪っていい、「敵国」の領地は奪っていいと国が決める。死刑制度は、「こいつの命は奪っていい命」と国が決定する。この国に「人権は大切なものだ」という思想が育たないのは、死刑制度があって、人の生きる権利をまるごと国が奪うことができる国だからだ。「人を殺せばその命は奪っていい」という考え方で死刑制度を続行するのなら、早晩、この国は戦争を始めるだろう。

 死刑制度は廃止すべき。死刑執行に抗議します。