チェルノブイリ原発事故から39年
今日は、4月26日。1986年4月26日、チェルノブイリで深刻な原発事故があった日。出力調整実験で原発が暴走し、水素爆発を起こした。原子炉は破壊され、火災が起きて放射性物質が大気中に放出された。火災の消火にあたった消防士たちだけでなく、多くの犠牲者が出た。放射性物質は空に舞い上がり、ヨーロッパだけでなく世界中、日本にも届いた。原爆で放射能の恐ろしさを知る日本で、この事故は人々に大きな衝撃を与えた。雨は有害か、飲み物は食べ物は汚染されていないかと事故から数年は話題になった。脱原発の機運も高まった。女たちが子どもを抱いてデモをした。
しかし、事故から時間がたつと、節電生活も汚染食品の恐怖もうやむやになった。なんといっても、事故を起こしたチェルノブイリ原発の4号炉はコンクリートで固められたが、他の3つの炉は運転を続けたほど電気は大切なものだった。すべての炉が停止したのは2000年の11月だという。
2011年3月11日、日本の福島原発がメルトダウン、深刻事故を起こし、再び世界で脱原発の機運が高まったが、日本国内でのがん発反対運動は、かつてより早く下火になった気がする。
きょうの日にどれだけの人がチェルノブイリを思うだろう。
原発のあるウクライナよりも隣のベラルーシにたくさんの放射性物質が落ちたと言われている。放射能汚染の怖さは見えない、臭いがないことにある。一度に大量に浴びれば即死するが、極く微量を浴び続けること、摂取することの影響は、いまだ確認継続中だ。すべてが実験中というのが、人類の作り出した放射生物質だ。
わたしが訪れたベラルーシの人々は「汚染されているとわかっていても食べなければ、今、生きていけない」と子どもたちを見ながら涙した。
ウクライナではもう2年もロシアの侵攻と戦っている。過去のチェルノブイリ原発事故どころではない。今日明日生きのびることが一番大事なことなのだ。
銃弾やミサイルに逃げ惑う必要のない日本でも日々を暮らすのに精一杯の事情を抱えている。それでも、2度も脱原発のためにデモに立ったものたちはせめて、この日を誰かに伝えるべきだと思う。
原子力発電なしで暮らしたい。
放射性物質と共存したくない。
原発も核爆弾もいりません。
※昨年のブログ投稿です。
4・26チェルノブイリ原発事故を忘れないで。https://ameblo.jp/wolf10fox/entry-12800296239.html