汗で溺れそうになった日
今日の都内は晴れ…
この時期、塩多めのおにぎりがお気に入りです

昼前から9月の戦国シェイクスピアの槍舞の振り付けで、汗だくになりました…
初日だというのに結構な飛ばしっぷりでしたが、いい感じだと思います♪
みんな膝笑ってましたが♪
さて、1661年の今日は初代水戸家当主(水戸藩主)徳川頼房の命日!
頼房は徳川家康の11男!
1松平信康
2結城秀康
3徳川秀忠
4松平忠吉
5武田信吉
6松平忠輝
7松千代
8仙千代
9徳川義直
10徳川頼宣
11徳川頼房
※他にも姫がいます!
の末っ子
1603年生まれって事は家康60歳!
ちなみにこの次の年に孫、三代将軍家光が生まれてます…
この頼房の子供が光圀です
頼房は伏見城生まれ
3歳で常陸下妻城10万石、6歳で常陸水戸城25万石を拝領…
しかし実際この時座ってたのは藩主の座ではなく、駿府城の家康の膝の上でした
水戸と言えば『御三家』ですが、元々は紀州、尾張と『徳川本家』だったのが、末っ子の水戸を加え『御三家』としたのがこの頃だったそうです
末っ子には甘かった様です
ある日家康が
『何か欲しいものはあるか?』
と尋ねたら
頼房は『天下が欲しい』
と答えるくらい…
大坂の陣で駿府城を守備に就いた時は10歳だった
水戸藩領についたのは大阪の陣も過ぎた元和5年
頼房は17歳
このあとも江戸住みが何年もあり、頼房は青年時代のほとんどを江戸で過ごしたそうです
ちなみにその頃、頼房は『異様な衣服や刀を纏い、行儀や節度なき振る舞いこれあり』
…つまりヤンキーだったんですね
この後、一歳下の家光から『(水戸は)近いんだし、江戸にいなよ』
と誘われ、頼房は江戸常住となった
一説にこれが『水戸は副将軍』といわれる原因だったそうな
病に伏した時に、息子、光圀に
『家来の殉死を止めさせよ』
と遺言したのは4代家綱の殉死禁止令より先でした
そして水戸城で亡くなった
家光には家中に2人
『友達』がいた
その1人が頼房だったといわれます
親戚中に仲のいい子がいるっていいですね♪
私もたまには一緒に遊びに行こう!
今日の都内は晴れ…
この時期、塩多めのおにぎりがお気に入りです

昼前から9月の戦国シェイクスピアの槍舞の振り付けで、汗だくになりました…
初日だというのに結構な飛ばしっぷりでしたが、いい感じだと思います♪
みんな膝笑ってましたが♪
さて、1661年の今日は初代水戸家当主(水戸藩主)徳川頼房の命日!
頼房は徳川家康の11男!
1松平信康
2結城秀康
3徳川秀忠
4松平忠吉
5武田信吉
6松平忠輝
7松千代
8仙千代
9徳川義直
10徳川頼宣
11徳川頼房
※他にも姫がいます!
の末っ子
1603年生まれって事は家康60歳!
ちなみにこの次の年に孫、三代将軍家光が生まれてます…
この頼房の子供が光圀です
頼房は伏見城生まれ
3歳で常陸下妻城10万石、6歳で常陸水戸城25万石を拝領…
しかし実際この時座ってたのは藩主の座ではなく、駿府城の家康の膝の上でした
水戸と言えば『御三家』ですが、元々は紀州、尾張と『徳川本家』だったのが、末っ子の水戸を加え『御三家』としたのがこの頃だったそうです
末っ子には甘かった様です
ある日家康が
『何か欲しいものはあるか?』
と尋ねたら
頼房は『天下が欲しい』
と答えるくらい…
大坂の陣で駿府城を守備に就いた時は10歳だった
水戸藩領についたのは大阪の陣も過ぎた元和5年
頼房は17歳
このあとも江戸住みが何年もあり、頼房は青年時代のほとんどを江戸で過ごしたそうです
ちなみにその頃、頼房は『異様な衣服や刀を纏い、行儀や節度なき振る舞いこれあり』
…つまりヤンキーだったんですね
この後、一歳下の家光から『(水戸は)近いんだし、江戸にいなよ』
と誘われ、頼房は江戸常住となった
一説にこれが『水戸は副将軍』といわれる原因だったそうな
病に伏した時に、息子、光圀に
『家来の殉死を止めさせよ』
と遺言したのは4代家綱の殉死禁止令より先でした
そして水戸城で亡くなった
家光には家中に2人
『友達』がいた
その1人が頼房だったといわれます
親戚中に仲のいい子がいるっていいですね♪
私もたまには一緒に遊びに行こう!