1963年頃、アメリカはテキサス州ノックスシティに『バッドボーイ』と呼ばれたジョンという少年がいた

今日はそのジョンの誕生日

中学生だったが、体が大きく、毎日ケンカに明け暮れ、毎日の様に母親に心配をかけた

『ママは悪くない!』

少年は思った
『いつかママに楽をさせてやるんだ…』

しかし高校に入ったジョンは、フットボールで、メキメキと頭角を現し、瞬く間にスター選手になり、ウエスト・テキサス州立大学卒業後、プロチームで活躍するが、ケガで引退となる

その後、紆余曲折を経て、ジョンはプロレスラーになる

当初『バカ力だけの若手』
と言われたジョンは、テキサスの名門道場『ファンクス一門』でトレーニングと試合を重ねる

安いファイトマネーで、さっきまで戦ってた相手達と乗り合いをして、スーパーでパンを買って帰る

そんな頃、ジョンは毎日毎日『ある特訓』を続けた

そしてある日の試合、ジョンの左腕が唸った!

プロレス史上『空前』の必殺技が誕生した

『ウエスタン・ラリアート』

そのジョンのリングネームは『スタン・ハンセン』

不沈艦
そうあだ名されるハンセンは、日本で何度もタイトルをとる人気レスラーとなる

アメリカで『ヒール(悪役)』だったハンセンは、日本でもそうしようと悪ぶったが、日本のファンの声援を受けた

『日本のプロレスファンは『目が肥えてる』。マスコミや組織が作った悪役などのキャラクターより、自分の目で見て『強さ』を判断してくれる』

当時、ハンセンが左腕のサポーターをグイッ!っとすると、車椅子の少年まで『ラリアートだ!』と叫んだものです

ハンセンはリングを降りると、子供好きで、非常に優しい『ド近眼』の紳士でした

それ以降もずっと強かったハンセン

彼は両膝の故障が元で2000年11/19引退を表明
2001年1/28
ジャイアント馬場三回忌追悼興行で引退セレモニーが行われた

ハンセンは言った
『辛い時、悲しい時は、天にロングホーンを立てて叫べばいい!』

ハンセンはその後、なんと学校の校長先生になったそうです

生徒は笑顔で言いました
『ウチの学校の校長先生は、世界一強くて世界一優しい先生なんだぜ!』

この日はたくさんのプレゼントがハンセン宅に届き、彼はそれらのほとんどを『施設』にプレゼントするそうです

ヒーローとはかくありたいですね!