先日の『八重の桜』は二本松少年隊でしたね…
白虎隊よりもさらに若い少年達

彼らの中には10歳くらいの子までいたそうです。

『陣地の楯にする畳、木砲、自分達の銃、伝来の古い脇差し、お母さんやおばあちゃんが縫ってくれた帷子、木村先生、二本松藩の心意気、それが私達の武器の全てでした』

彼らの『全装備』がたったそれだけでした。

もちろん彼らの体に合う甲冑なんかありません。

あったとしても、当時の戦法には合わない上、とっくに前線に徴収されてます。

『戦争は経済のぶつかり合い。貧乏な方が負ける』って言った経済学者さんがいましたが、装備や補給の面で、あの少年達は録なものはありませんでした

お母さん達までも防衛に借り出される中、おじいさん達は古い脇差しを与え、おばあちゃん達は孫達や隣近所の少年隊士達の為、古銭をかき集めました。

肌襦袢や鉢巻きに縫い付け、簡易な鎖帷子や陣鉢を作る為です。

一針一針、こんな粗末な帷子しか与えてやれない事に涙しながら、その古い銭が孫達を銃弾から守ってくれる様に願って。

二本松少年隊の初陣は、早々の退却だったそうです。

しかし、西軍兵士は思いの外早く、少年達が『現実的な死』を感じた、その時!

敵陣横合いに、歩くのもおぼつかない老人達が、特攻を仕掛けた

少年達の耳に聞こえたのは

『孫達を死なせるな!』

と叫ぶ老人達の声でした。

もちろん老人達は刀などとうに孫達に渡してしまい、手にするのは竹槍くらいでした。

二本松少年隊や白虎隊を送り出し、状況が悪化すると
敗戦を感じた、西郷頼母さんの家をはじめ、会津の女性達は、
『戦の中で、兵士に理性を求めるのは冬に花を見つけるのに等しい。能力はどうあれ、私達の体は女性である。そう言って、いざという時に、娘達に自決の方法を教えたのは私達。だから娘達に先駆けて手本を見せてやらねば』

会津の女性達は腰紐で、自分の膝を正座の形にしっかりと結び、自決したそうです。

後に薩摩や長州の軍が城下に乗り込んで来た時、その光景を見て絶句し、やっとの思いで搾り出した声は
『なんだこれは…なんなのだこれは…』

だったそうです。

私の祖母さんくらいまでは孫に
『長州モンと結婚するなら縁を切る!』
って方もまだ残ってたのは、こういう事を知らない方がいたからこそだと思うんです。

知る事は礼儀って事もあるんですね