雪!

相変わらず雪に弱い東京はダイヤが朝から乱れてます。

なので今日は夜から出陣!
必殺のスパイク付きショートブーツで!

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万全です!

そして昼間は家でデスクワーク!
たまった仕事を片付けてました!

台本、スケジュール、次の舞台の劇場との打ち合わせなど…

昨日、火曜道場では久しぶりに来たメンバーがいた為、ちょっとランクを上げた殺陣を♪

後半、膝を着いたままの殺陣を入れてみました。

実はコレ会津の『御内式』という、珍しい『室内武術』なんです。

元々、室内武術の一面のある合気道にもこの手の技法はありまして、その合気道、実は会津が本場なんです。

幕末近くなると、
『柔(柔道の原型)を使う…会津か?』

なんてシチュエーションもありました!

最近大河では会津のお話やってますが、その会津の、ある武術家のお話があります。

その男は慶応2年(1866)に会津藩士、志田貞二郎の三男として生まれました。

しかし戊辰戦争に追われ、彼は会津を逃れ、新潟は津川で少年時代を過ごします

そして彼が二歳の頃、会津降伏

彼は16歳になると、会津藩家老、西郷頼母の養子となりました。
頼母は、会津藩御留流(秘伝)の大東流合気道柔術の継承者で、柔術の達人でもありました。

『会津もの』と言葉をぶつけられるその子に頼母が言いました

『強くなりたいか?』

『はい!今度は負けない様に!みんなを守れる様に!』

頼母は、篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃した過去があります。

『よし!だが他を恨むなかれ!自らを鍛えよ!』

彼はめきめきと上達しました。

当時の社会情勢の中、彼は『西郷』という名前を『敵の大将の名前だから』と、使わなかった時期があります。

しかし、何かを乗り越えたんでしょうか、西郷と再び名乗り出した後、彼は幻の技『山嵐』を開眼します。

そう、西郷頼母の養子の四郎

彼こそ後の講道館四天王の一人『西郷四郎』

小説『姿三四郎』のモデルになった人物です!

彼の言葉が今の講道館には届いているかな?

先日、某柔道場で、そこの少年達と稽古しました

頼母が見た四郎はこんなだったのかな♪

届いてる!
そう信じてます!

強くなれ!

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