天正10年6月4日

伊賀の山中を行く一団があった。
徳川家康である
本能寺の変の後、自決を思い留まり、家康は行動を選んだ!
目指すは険峻な伊賀の山中を越えるルート。
そして4日
伊賀に入り、疲労も限界…ふと気付くと周りを野武士達に囲まれていた!
茶屋四郎二郎の黄金も尽き、あわや絶対絶命!
しかし、野武士達は音もなく忍びよる影に瞬く間に倒される。

『この先は我等が縄張り。御案内つかまつる』
家康を助けた者こそ伊賀三頭目の一人『服部半蔵』でした!
『神君伊賀越え』の一節ですね。
世に言うこの半蔵は二代目。
実際はこの半蔵、武将で『鬼槍半蔵』と言われた槍の名手した。
家康は『半蔵の名を』と、江戸城の一角に残しました。
これが『半蔵門』ですね。
初代半蔵が忍者を抱える伊賀の土豪でしたが3代目半蔵正就は、下を蔑んで伊賀者のクーデターにあい、以後、大坂の役で行方不明に…
忍者は徹底した『現実主義者』ですから。怖いですね~。
4代目 服部半蔵(正重)は2代目正成の次男で、リコールされた3代目正就の弟。
真面目だが不幸だった。
この4代目正重の舅、なんと『大久保長安』
彼のスキャンダル『大久保長安事件』で巻き添え失脚。
しかしその後、松平定綱に召し抱えられ、何と桑名藩の家老となります。
実は正重の兄・正就の妻は桑名藩主松平定勝の姉!
正重の甥、服部正辰の口添えもあり、藩主の『外戚』と、伊賀本家より優遇されました。
そして桑名の地に『服部半蔵』は代を重ねます。
12代目服部半蔵正義は幕末!
弘化2年(1845)9月29日生まれ。
21歳で(大服部家)家督と桑名藩家老を継ぎ、京都所司代の藩主の松平定敬を補佐し、幕末の京へ…
なんと慶応4年、鳥羽伏見の戦いに桑名軍を率いて参戦!
しかし戦いに敗れ、官軍に身柄を拘束されるが明治2年、身を解かれ、桑名藩の要職を務めた。
明治19年(1886)没。
『伊賀同心』と道を違え、幕末まで戦い続けた半蔵がいました。


伊賀の山中を行く一団があった。
徳川家康である
本能寺の変の後、自決を思い留まり、家康は行動を選んだ!
目指すは険峻な伊賀の山中を越えるルート。
そして4日
伊賀に入り、疲労も限界…ふと気付くと周りを野武士達に囲まれていた!
茶屋四郎二郎の黄金も尽き、あわや絶対絶命!
しかし、野武士達は音もなく忍びよる影に瞬く間に倒される。

『この先は我等が縄張り。御案内つかまつる』
家康を助けた者こそ伊賀三頭目の一人『服部半蔵』でした!
『神君伊賀越え』の一節ですね。
世に言うこの半蔵は二代目。
実際はこの半蔵、武将で『鬼槍半蔵』と言われた槍の名手した。
家康は『半蔵の名を』と、江戸城の一角に残しました。
これが『半蔵門』ですね。
初代半蔵が忍者を抱える伊賀の土豪でしたが3代目半蔵正就は、下を蔑んで伊賀者のクーデターにあい、以後、大坂の役で行方不明に…
忍者は徹底した『現実主義者』ですから。怖いですね~。
4代目 服部半蔵(正重)は2代目正成の次男で、リコールされた3代目正就の弟。
真面目だが不幸だった。
この4代目正重の舅、なんと『大久保長安』
彼のスキャンダル『大久保長安事件』で巻き添え失脚。
しかしその後、松平定綱に召し抱えられ、何と桑名藩の家老となります。
実は正重の兄・正就の妻は桑名藩主松平定勝の姉!
正重の甥、服部正辰の口添えもあり、藩主の『外戚』と、伊賀本家より優遇されました。
そして桑名の地に『服部半蔵』は代を重ねます。
12代目服部半蔵正義は幕末!
弘化2年(1845)9月29日生まれ。
21歳で(大服部家)家督と桑名藩家老を継ぎ、京都所司代の藩主の松平定敬を補佐し、幕末の京へ…
なんと慶応4年、鳥羽伏見の戦いに桑名軍を率いて参戦!
しかし戦いに敗れ、官軍に身柄を拘束されるが明治2年、身を解かれ、桑名藩の要職を務めた。
明治19年(1886)没。
『伊賀同心』と道を違え、幕末まで戦い続けた半蔵がいました。
