紫陽花が咲きはじめました♪

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今日は6月1日!
世間では衣替えの日。
衣更えは『四季がある国(雨季乾季含む)』の習慣と言えます。

中国から伝わり、平安時代の宮中行事となり、それが民間に伝わったと言われます。

当初は春秋ものと夏服と冬服を着替える『更衣(こうい)』というものでしたが、帝の『お着替え役』の女官の役職も『更衣』という名前だった為、後に『衣替え』と訓読みにしたそうです。

宮中では服以外でも、女性の扇が冬は桧扇(ヒノキ製)、夏は蝙蝠(紙と竹製)と替わったり、鎌倉時代になると、家具まで替える様になる事もありました。

だから戦国時代に甲冑の下に着る着物も、夏と冬では違います。
って言うか、綿入れで甲冑なんか着たら、汗が大変な事になります!

甲冑着る時は、甲冑だけじゃなく、中の着物も気をつけたいですね♪

でも関ヶ原みたいなシーズンは大変だったろうな~…

江戸時代になると、日取りが決められ、武士達も年4回の衣替えが『公式』となります。
4月1日~5月4日は袷(あわせ)
いわゆる裏地付き

5月5日の端午の節句~8月末日には帷子(かたびら)
裏地なしの夏物の単衣物

9月1日~9月8日に袷に戻り、9月9日の重陽の節句~翌年3月末日までが綿入れとなります。

翌日4月1日にはこの綿入れから綿を抜く為、今でも『四月一日』と書き『わたぬき(綿抜き)』って読みますね♪

明治の改暦からは6月1日と9月または10月1日に衣更えとなった所が多い様です♪

そんな今日、ある理由があって、衣装用に取ってあった学ランを引っ張り出しました。

衣更えなのに逆な事してますが、見ると懐かしい~!

学生時代、応援団にも入っていた時は、夏でも長ラン(長い学生服)だった為、夏の大会の応援は必死でした。

当時、そのカッコで、妹達の幼稚園の送り迎えしてたんだよな~

私は副団長で『音頭取り』だった為、校歌、応援歌、三三七拍子などの全ての太鼓を担当してました。

重労働ですが、動いてるだけよかったです。
旗持ちなんか、最後の方、なんかブツブツ言ってたもんな~

あ、今回の『新撰組後始末記』にも『誠の旗』が出て来ます!

あの旗に託した思いとは…!

御期待下さい!
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