今日はナイチンゲールと織田信長の誕生日。

この2人、同じ誕生日なんだ…

役者の通説で
『土方ができるヤツは信長ができる』

なんて言われます。カテゴリーが一緒なのか?

そういえば沖田と蘭丸もそうですね♪

さて皆さん、14歳で刀で斬りする集団に志願するのって想像出来ます?

慶応3年(1867)、隊士募集で兄に連れられ『血も涙もない剣客集団』の前に来た1人の少年

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『市村鉄之助』

彼は土方歳三附属…つまり『鬼の副長』付きとなりました。

しかし土方の『子供好き』はエピソードが多く、沖田の世話をしたり、多摩時代に甥っ子が、額に怪我した時も、抱き上げて『男の子の向こう傷だ!めでたいめでたい!』とあやしたそうです。

おそらく末っ子だった『思慕の裏返し』かもしれませんね。

土方に可愛がられた鉄之助君
同年6月、14歳で幕臣に!

しかし喜んだのもつかの間、11月には大政奉還→幕府は消滅
新撰組は翌年(1868)1月に始まった鳥羽伏見の戦いで敗北。
甲斐で大敗。
兄、辰之助が新選組を脱走。
流山で近藤勇が投稿、処刑
沖田病死
会津、福島、仙台、北海道と転戦!

波乱ずくめの15歳の歳…

そして翌年(1869年)5月
死を覚悟した市村を土方が呼んだ

『お前はここまでだ。ありがとうよ』

土方の最後の命令は、彼の形見を故郷に届ける事

泣きながら、箱館から戦の中を多摩に走る鉄之助は、どんな気持ちだったんでしょうね。

鉄之助は、3ヶ月かかって、多摩の佐藤彦五郎家に到着。

その時には刀もなく、ボロボロの懐から、大事そうに土方の遺髪や写真、辞世の和歌や手紙を差し出したそうです。

手紙には『使の者の身の上、頼み上げ候』
つまり『こいつを頼む』
とかかれていたそうです。

鉄之助は2年ほど佐藤家で療養。
その後、明治十年(1877)に勃発した西南戦争に参戦、討死したそうです。

それを証明するのは後に、東京の大東屋が元新撰組の島田魁に送った手紙のみ…

当時『大悪役』だった新撰組。
新政府は邪魔な人間だった者は調べなかったんです。

幕末という『戦国』を駆け抜けた市村鉄之助。

天国で土方と会ったら…

また、困った様な、怒った様な顔で『何か』言われたかもしれませんね。