男が走ってゆく。
時は幕末、官軍が江戸総攻撃の準備をする中
『朝敵!徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る』
と大声で言い放ち、敵の総大将、西郷吉之助の元に乗り込んだ男。
身の丈六尺二寸(約188cm)の大男。
この男、山岡鉄太郎。
塚原卜伝の血を引く母を持ち、神陰流、樫原流槍術、北辰一刀流を学んだ、剣客。
後に『幕末の三舟』の1人として数えられる、山岡鉄舟である。
とかくこの方は戦国武将顔負けの剛直なエピソードが多い!
徳川慶喜の恭順を、勝海舟が書面にし、高橋泥舟に頼み、泥舟は警護で手が離せなかったので『殺気立った薩摩隼人の群れに単身乗り込める男』って訳で三舟の渡しになりました。
後に鉄舟は西郷の推薦で『10年の約束』で、明治5年から明治天皇に侍従として仕え、役を退いた後、明治18年に、一刀流小野宗家第9代の小野業雄からも道統と瓶割刀・朱引太刀・卍の印を継承し、一刀正伝無刀流(無刀流)を開いた。
西郷に直談判に来た時、西郷は鉄舟を『金も名誉も命もいらぬという人でなければ天下の偉業は成し遂げられない』と評し、その後日、村田新八は鉄舟を参謀府に呼び出し
『先日、あなたが官軍の陣営を、通って行った時、その知らせを受け、私と中村半次郎(人斬り半次郎=後の桐野利秋)とで、後を追い、斬り殺そうとしたが追い付けず斬りそこねた。くやしいので、今日呼び出して、この事を伝えたかっただけだ!他に用はない』
と言い、鉄舟は
『それはそうだろう。わたしは江戸っ子だ。足は当然速い。貴君らは田舎者でのろま男だから、わたしの足の速さにはとても及ぶまい』
と返し、ともに大笑いして別かれたそうです。
いかにもな剛直な男と薩摩隼人のエピソードですね。
勲三等を頂く時に、勲章を持参した井上馨に向かい
『お前さんが勲一等で、おれに勲三等か?おれから見れば、お前さんなんかふんどしかつぎじゃねえか』と啖呵を切った話もある。
また『清水の次郎長』とも親交があり、幕臣と侠格の奇妙な友情物語がある。
鉄舟は自身が貧乏だった為、困窮した者が助けを求めてくると、すぐお金を渡してしまう為、鉄舟はずっと貧乏であった。
明治21年(1888)7月19日9時15分、皇居の方角に向かって結跏趺坐のまま絶命。
書家でもあった鉄舟
『木村屋』のあんパンを好み、毎日食べていたともいわれる。
その『木村屋』の看板も鉄舟の筆である。
寒さに負けず、撮影続行中!
時は幕末、官軍が江戸総攻撃の準備をする中
『朝敵!徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る』
と大声で言い放ち、敵の総大将、西郷吉之助の元に乗り込んだ男。
身の丈六尺二寸(約188cm)の大男。
この男、山岡鉄太郎。
塚原卜伝の血を引く母を持ち、神陰流、樫原流槍術、北辰一刀流を学んだ、剣客。
後に『幕末の三舟』の1人として数えられる、山岡鉄舟である。
とかくこの方は戦国武将顔負けの剛直なエピソードが多い!
徳川慶喜の恭順を、勝海舟が書面にし、高橋泥舟に頼み、泥舟は警護で手が離せなかったので『殺気立った薩摩隼人の群れに単身乗り込める男』って訳で三舟の渡しになりました。
後に鉄舟は西郷の推薦で『10年の約束』で、明治5年から明治天皇に侍従として仕え、役を退いた後、明治18年に、一刀流小野宗家第9代の小野業雄からも道統と瓶割刀・朱引太刀・卍の印を継承し、一刀正伝無刀流(無刀流)を開いた。
西郷に直談判に来た時、西郷は鉄舟を『金も名誉も命もいらぬという人でなければ天下の偉業は成し遂げられない』と評し、その後日、村田新八は鉄舟を参謀府に呼び出し
『先日、あなたが官軍の陣営を、通って行った時、その知らせを受け、私と中村半次郎(人斬り半次郎=後の桐野利秋)とで、後を追い、斬り殺そうとしたが追い付けず斬りそこねた。くやしいので、今日呼び出して、この事を伝えたかっただけだ!他に用はない』
と言い、鉄舟は
『それはそうだろう。わたしは江戸っ子だ。足は当然速い。貴君らは田舎者でのろま男だから、わたしの足の速さにはとても及ぶまい』
と返し、ともに大笑いして別かれたそうです。
いかにもな剛直な男と薩摩隼人のエピソードですね。
勲三等を頂く時に、勲章を持参した井上馨に向かい
『お前さんが勲一等で、おれに勲三等か?おれから見れば、お前さんなんかふんどしかつぎじゃねえか』と啖呵を切った話もある。
また『清水の次郎長』とも親交があり、幕臣と侠格の奇妙な友情物語がある。
鉄舟は自身が貧乏だった為、困窮した者が助けを求めてくると、すぐお金を渡してしまう為、鉄舟はずっと貧乏であった。
明治21年(1888)7月19日9時15分、皇居の方角に向かって結跏趺坐のまま絶命。
書家でもあった鉄舟
『木村屋』のあんパンを好み、毎日食べていたともいわれる。
その『木村屋』の看板も鉄舟の筆である。
寒さに負けず、撮影続行中!