さて昨日の続きです。
享保の頃ともなると、火事場での目印として『いろは組』各組の纏(まとい)ができました。
あの『おでんの具』みたいなヤツです♪
加賀鳶の豊臣秀吉から拝領したという纏や、大岡越前が考案したという丸玉と四角の台を組み合わせた『い組』の纏なんかが有名です♪
この『纏』
実は、戦国時代の『馬印』を象ったものなんです!
いろはの組文字が『家紋』に見たててあるんですね♪
当初は幟(のぼり)型でしたが、この頃から陀志(ダシ)という頭の部分と、馬簾(バレン)という、スカート部分を合わせた、あの『形』になります。
また大名火消しの火事装束は、頭に火事頭巾、手甲、脚半(脛当)、胸当(簡易胴)、野袴に革の陣羽織という出で立ち。
この火事頭巾には豪華な『前立』や『錣』が取り付けられ、革の羽織にも縁取りや刺繍が付けられていました。
そう!
大名火消しの装束は『戦国武将』の格好を簡素アレンジしたものなんです。
後に天保の改革で地味になりましたが、その形も『忠臣蔵』の大石蔵之助の討ち入りの格好として見る事ができます。
火事場装束は戦装束だったんですね。
ローマ軍も自衛隊も、軍隊は土木作業やレスキューが出来るのは、戦国好きならわかると思いますが、火事場活動も同じ事なんです。
戦国の気風をやめさせようとした家康も、駿府城があれだけ火事になったり、江戸の町割りした途端に火事になったりしたら、折れざるを得なかったんですかね~
ちなみに武家火消し発足当初は『具足姿』で消火活動した旗本もいたとか…
まあ、軽武装だとは思いますが。
でないと付けてる間に火事終わっちゃいますからね。
この武家火消しスタイルが、後に火付盗賊改め方や南北奉行所の『討ち込み』の軍装になっていきます。
余談ですが、その際のほとんどの手勢『火消し人足』は『御用だ!御用だ!』の、捕り方と兼任で、鳶や人足など『民間協力者』で構成されてました。
有志が中核だったんですね♪
江戸っ子には『自分達の力、みんなの力』で町を守る!って自負があったんです。
現代の消防団の有志の皆さん!
頑張って下さいね!
享保の頃ともなると、火事場での目印として『いろは組』各組の纏(まとい)ができました。
あの『おでんの具』みたいなヤツです♪
加賀鳶の豊臣秀吉から拝領したという纏や、大岡越前が考案したという丸玉と四角の台を組み合わせた『い組』の纏なんかが有名です♪
この『纏』
実は、戦国時代の『馬印』を象ったものなんです!
いろはの組文字が『家紋』に見たててあるんですね♪
当初は幟(のぼり)型でしたが、この頃から陀志(ダシ)という頭の部分と、馬簾(バレン)という、スカート部分を合わせた、あの『形』になります。
また大名火消しの火事装束は、頭に火事頭巾、手甲、脚半(脛当)、胸当(簡易胴)、野袴に革の陣羽織という出で立ち。
この火事頭巾には豪華な『前立』や『錣』が取り付けられ、革の羽織にも縁取りや刺繍が付けられていました。
そう!
大名火消しの装束は『戦国武将』の格好を簡素アレンジしたものなんです。
後に天保の改革で地味になりましたが、その形も『忠臣蔵』の大石蔵之助の討ち入りの格好として見る事ができます。
火事場装束は戦装束だったんですね。
ローマ軍も自衛隊も、軍隊は土木作業やレスキューが出来るのは、戦国好きならわかると思いますが、火事場活動も同じ事なんです。
戦国の気風をやめさせようとした家康も、駿府城があれだけ火事になったり、江戸の町割りした途端に火事になったりしたら、折れざるを得なかったんですかね~
ちなみに武家火消し発足当初は『具足姿』で消火活動した旗本もいたとか…
まあ、軽武装だとは思いますが。
でないと付けてる間に火事終わっちゃいますからね。
この武家火消しスタイルが、後に火付盗賊改め方や南北奉行所の『討ち込み』の軍装になっていきます。
余談ですが、その際のほとんどの手勢『火消し人足』は『御用だ!御用だ!』の、捕り方と兼任で、鳶や人足など『民間協力者』で構成されてました。
有志が中核だったんですね♪
江戸っ子には『自分達の力、みんなの力』で町を守る!って自負があったんです。
現代の消防団の有志の皆さん!
頑張って下さいね!