昨日、リハ中に小刀についての質問が

『よく時代劇で龍馬なんかが短い小刀差してますよね?アレなんですか?』

アレ、実は『馬手差し』所謂、戦国時代の『鎧通し』です。

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土佐人がよく『土佐の長刀使い』と呼ばれたのは、刀が長い事もありますが、小刀が短い事で、余計に長く見えたのもある様に思えます。

もちろん全員が全員、そうであった訳ではありません。
しかしやはり『維新志士』の象徴としてのアイテムの1つとして有名ですね。

実は幕末は装備については『戦国回帰』でもあります。

お金のない維新志士は古道具屋や質屋の中古鎧や刀を買い、それも一揃いではなかった為、ちぐはぐな武装の人もいた様です。

幕末の有名な話で、龍馬の家は、質屋もやっていて、黒船騒動の後、普段威張り散らしていた上士達が、預けっぱなしにしていた伝来の鎧を引き取りに来て『頭金だけなんだがなんとか!』
と頭を下げに来た逸話がありましたね。

江戸期の鎧は、新品なので『高い』ですし…

江戸時代中頃になると『一生刀を抜く事のなかった武士』や、貧乏で、ずっと竹光だった武士もいたようです。
そして、抜きはしませんが、大刀より頻繁に差すのが小刀(脇差し)!

小刀は武士を『二本差し』と呼ぶ様に、武士として外出、または公式の場に出る時は、必ずするものです。

最初は刀子や鎧通しの意味で使用されてたので短く、江戸期になると『大刀の予備』という戦闘を前提とした考え方になり『脇差し』という名称と共に大きくなります。

刃渡り1尺以上2尺未満を小刀という…というからには結構ありますよね?
因みに1尺以下は『短刀』です

しかし、長い泰平の為、戦闘目的よりも儀礼用のものになっていき、小刀こそ『抜かないモノ』になっていきます。

なので、いいものが新たに生産されにくくなるんです。
だって使わないから。

情けない事に当の武士達も刀を『実用品』ではなく『美術品』『贈答品』として考えていた人も多かったんです。

ところが!

幕末の頃、まるで大刀のような『脇差し』を差して京の街を闊歩していた男がいました。

誰あろう『近藤勇』です。

近藤の小刀(脇差し)は2尺近くあったそうです。

巨大な脇差しと巨大な顔で京の街をうねり歩く近藤は、おそらく『戦闘者』としての武士の姿を取り戻したかったのかもしれませんね。