真田信繁(幸村)の子供達
※本文中では幸村とさせて頂きます)
長女阿菊
母は家臣堀田作兵衛興重の娘。上田生まれで、おじいちゃん作兵衛に育てられ、石合十蔵重定に嫁ぐ。
ちなみに作兵衛じいちゃんは大坂城で華々しく討死。
次女於市
母は家臣高梨内記の娘。同じく上田生まれ。
九度山で病死。
内記じいちゃんもまた大坂城で討死。
三女阿梅
於市と同じく高梨内記の娘の子。大坂の役で、伊達政宗の重臣片倉小十郎重綱(なんと片倉小十郎景綱の嫡男)に嫁ぐ。
大坂落城の際、白鉢巻に白柄の長刀を手に杖に城から出て来た所を、捕らえられた逸話が有名
この縁で、幸村の旧臣たちの中から片倉家の家臣となった者が多く出た。
三代目小十郎景長の養母。
四女あくり
母は大谷吉継の娘!
あくりは大坂落城後、家康の使番滝川三九郎一積(滝川一益の孫)の養女となり(一積の妻は幸村の妹)、後に会津の蒲生家に嫁ぐ。後年これが元で内紛に…
長男幸昌(大助)
母は同じく大谷吉継の娘。
大阪城で幸村を名乗って切腹
五女なほ(御田姫)
母は三好中納言秀次の娘で九度山生まれ。
伊予守重隆の母で、三十二歳で没。
六女阿菖蒲(おしよふ)
母は大谷吉継の娘。九度山生まれ。
姉の阿梅に引き取られ、伊達政宗の家臣田村定広(愛姫の実家筋)に嫁ぐ。
七女おかね
同じく母は大谷吉継の娘、九度山で生まれ。
京の茶人、宗休に嫁いだ。
次男大八
同じく母は大谷吉継の娘。
子供のとき印地打ち(石合戦)で死亡したと記録されているが。実は姉阿梅と共に片倉氏に引き取られ、後年、片倉米之介守信と名乗り、その子、辰信より真田姓に復した。
三男幸信
母は三好秀次の娘で元和元年7月、京都生まれ。
幸村は5月に戦死している。幼名は三好左次郎。
姉の御田姫の嫁ぎ先に引き取られ、三好左馬之介幸信と称した。寛文七年没。
八女
母は大谷吉継の娘と記録にあるが、消息不明。
講談では猿飛佐助が赤子を抱いて敵陣を脱出するという逸話がある。
四郎
母、不明。
彼は何を思い…何を悩み…何に喜び…何をするのか

※本文中では幸村とさせて頂きます)
長女阿菊
母は家臣堀田作兵衛興重の娘。上田生まれで、おじいちゃん作兵衛に育てられ、石合十蔵重定に嫁ぐ。
ちなみに作兵衛じいちゃんは大坂城で華々しく討死。
次女於市
母は家臣高梨内記の娘。同じく上田生まれ。
九度山で病死。
内記じいちゃんもまた大坂城で討死。
三女阿梅
於市と同じく高梨内記の娘の子。大坂の役で、伊達政宗の重臣片倉小十郎重綱(なんと片倉小十郎景綱の嫡男)に嫁ぐ。
大坂落城の際、白鉢巻に白柄の長刀を手に杖に城から出て来た所を、捕らえられた逸話が有名
この縁で、幸村の旧臣たちの中から片倉家の家臣となった者が多く出た。
三代目小十郎景長の養母。
四女あくり
母は大谷吉継の娘!
あくりは大坂落城後、家康の使番滝川三九郎一積(滝川一益の孫)の養女となり(一積の妻は幸村の妹)、後に会津の蒲生家に嫁ぐ。後年これが元で内紛に…
長男幸昌(大助)
母は同じく大谷吉継の娘。
大阪城で幸村を名乗って切腹
五女なほ(御田姫)
母は三好中納言秀次の娘で九度山生まれ。
伊予守重隆の母で、三十二歳で没。
六女阿菖蒲(おしよふ)
母は大谷吉継の娘。九度山生まれ。
姉の阿梅に引き取られ、伊達政宗の家臣田村定広(愛姫の実家筋)に嫁ぐ。
七女おかね
同じく母は大谷吉継の娘、九度山で生まれ。
京の茶人、宗休に嫁いだ。
次男大八
同じく母は大谷吉継の娘。
子供のとき印地打ち(石合戦)で死亡したと記録されているが。実は姉阿梅と共に片倉氏に引き取られ、後年、片倉米之介守信と名乗り、その子、辰信より真田姓に復した。
三男幸信
母は三好秀次の娘で元和元年7月、京都生まれ。
幸村は5月に戦死している。幼名は三好左次郎。
姉の御田姫の嫁ぎ先に引き取られ、三好左馬之介幸信と称した。寛文七年没。
八女
母は大谷吉継の娘と記録にあるが、消息不明。
講談では猿飛佐助が赤子を抱いて敵陣を脱出するという逸話がある。
四郎
母、不明。
彼は何を思い…何を悩み…何に喜び…何をするのか
