久しぶりの柳生十兵衛!
腕がなります♪

ここである質問があったのでちょいと紹介。

柳生十兵衛の時代、それはそのまま家光の時代と重なります。
年も2つ違い(異説あり)で、十兵衛の父、但馬守宗矩が家光の父、徳川二代将軍秀忠に仕えていた事からか、十兵衛が家光の小姓をしていた時期もありました。

ただ、ある時期に解雇になります。

まあ、十兵衛の性格上、宮仕えが長く務まるとは思えませんが、いくつかの『ものの資料』によりますと『十兵衛が家光を失神させて、それにより勘気を被った』
とあります。

稽古中、または何かで腹がたったのか…
『男色家の家光に迫られて、断った為』
とかいう説もあります。

この時期はまだ『衆道』は『嗜み』という考えがまだありましたから、家光が十兵衛に迫ったのは『普通にある事』だった訳です。

主君の『お誘い』を拒否して危害を~って事ですと、主君に非はない訳です。

普通切腹モンですよね…
『御世継ぎ様』に危害を加えたと訳ですし。

しかし!この時に『謹慎』程度で済んでます。
よほど十兵衛がお気に入りだったのか…

ここで面白い説が!

十兵衛の目は、いつから片目になったか?にまつわる説です。

片目ではなかった!という資料も存在しますが、やはり『柳生十兵衛』と言えば『隻眼』が定番。

この片目を失った時期が、小姓をやめた時期と重なります

ここで浮上する説
『十兵衛の目を奪ったのは家光!』
という説!

あくまで推測です。

幼少時、但馬守との稽古中に片目を失い~
って説もありますが、片目の人間を小姓に上げるとは考えにくく、外見上健常者ではなくなって『御役目辞退』はあることです。

稽古の流れか誤ってか、十兵衛の目を傷つけたのが家光なら『この程度』の処置でもわかりますし、柳生家としても、新陰流嫡男が『不覚』を取った事は隠したい!というのは頷けます。

昔の試合では結構死人も出てましたし、稽古もそれに準ずるくらいのものであったのは事実です。

細心の注意を払っても将軍様だけ例外はありえません。

意外に思われがちですが、家光は武道好きの家康の孫らしく、武道の稽古はしっかりやっていたようです。

昨今の映画、舞台を見るに『家光』という人物が、あまりにも『バカ殿』が定番になりすぎてしまい、どうにもそのパターンに食傷気味な部分もあります。

たまには『しっかりした家光』ってのも見てみたいですね♪