今日も13時からアクション稽古でした。

『何だこの暑さはーっ!』
と吠えつつ稽古してましたが、しまいには吠える気力もなくなり、体が溶けるかと思う頃、移動してSAZENの稽古に!
暑かった~!
さて、前回の水戸光國ですが、名君と言われた晩年期とは裏腹に、少年時代はまあ~不良で、町で刀を振り回したりする、いわゆるヤンキーでした。
暇さえあれば酒を呑み、暴れ、吉原遊廓通いも日常茶飯事!
ぶっちゃけ『とんでもない悪者』でした。
これには涙涙の訳が…
実は光國、寛永5年(1628年)水戸徳川家の徳川頼房の三男として生まれます。
頼房と言えば徳川家康の11男(!?)、家康が62歳の時の子供(!?!?)
光國はその三男です。
お兄さんが2人いた訳ですが、実は家光に世継ぎが生まれる前に生まれてしまった為、徳川本家に睨まれるのを恐れ、公表しなかった。
さらに光圀を頼房の側室、久子が懐妊した頃、頼房は徳川本家に遠慮(警戒)し、まだ正室を持ってなかったんです。
光國もやはり出生を隠され、家臣三木之次の家で生まれたんですが、その際密かに頼房は堕胎を命じたが、三木夫妻は主命に背いて密かに出産させたというエピソードもあります。
本家に睨まれるからという理由で私生児扱いをされた少年期。
これらが光國の青春期に及ぼした影響は少なくない。
そりゃ荒れるな…
しかし!
光圀18歳の時に転機が!
司馬遷の『史記』を読んで感銘を受け、以降、学問の徒となり、一念発起し、水戸家当主となります。
そうなると、光圀は兄を差し置いて藩主になったことに自責の念を感じ、後継者に、その兄の子を養子に迎えて世継ぎにしたという逸話も(早逝したので、その弟の綱條を養子に迎え世継ぎとした)ありました。
余談ですが『あの人は、鮭のカマとハラスが大好物で、厚さ一寸の鮭を持ってきたら、35石と取り替える!って言った』という逸話がありますが、これは伊達政宗の談と言われてます。
元不良がいい指導者になる話の典型ですかね♪

『何だこの暑さはーっ!』
と吠えつつ稽古してましたが、しまいには吠える気力もなくなり、体が溶けるかと思う頃、移動してSAZENの稽古に!
暑かった~!
さて、前回の水戸光國ですが、名君と言われた晩年期とは裏腹に、少年時代はまあ~不良で、町で刀を振り回したりする、いわゆるヤンキーでした。
暇さえあれば酒を呑み、暴れ、吉原遊廓通いも日常茶飯事!
ぶっちゃけ『とんでもない悪者』でした。
これには涙涙の訳が…
実は光國、寛永5年(1628年)水戸徳川家の徳川頼房の三男として生まれます。
頼房と言えば徳川家康の11男(!?)、家康が62歳の時の子供(!?!?)
光國はその三男です。
お兄さんが2人いた訳ですが、実は家光に世継ぎが生まれる前に生まれてしまった為、徳川本家に睨まれるのを恐れ、公表しなかった。
さらに光圀を頼房の側室、久子が懐妊した頃、頼房は徳川本家に遠慮(警戒)し、まだ正室を持ってなかったんです。
光國もやはり出生を隠され、家臣三木之次の家で生まれたんですが、その際密かに頼房は堕胎を命じたが、三木夫妻は主命に背いて密かに出産させたというエピソードもあります。
本家に睨まれるからという理由で私生児扱いをされた少年期。
これらが光國の青春期に及ぼした影響は少なくない。
そりゃ荒れるな…
しかし!
光圀18歳の時に転機が!
司馬遷の『史記』を読んで感銘を受け、以降、学問の徒となり、一念発起し、水戸家当主となります。
そうなると、光圀は兄を差し置いて藩主になったことに自責の念を感じ、後継者に、その兄の子を養子に迎えて世継ぎにしたという逸話も(早逝したので、その弟の綱條を養子に迎え世継ぎとした)ありました。
余談ですが『あの人は、鮭のカマとハラスが大好物で、厚さ一寸の鮭を持ってきたら、35石と取り替える!って言った』という逸話がありますが、これは伊達政宗の談と言われてます。
元不良がいい指導者になる話の典型ですかね♪