長篠の合戦ですが、『武田の騎馬軍団に対し、織田軍は三段構えの鉄砲で~』ってのが一般的なお話。

しかし、この話には1つ穴があります。
そもそも、武田軍が騎馬で攻め込むのが前提の作戦。
武田軍が正面攻撃をしなければ意味がない作戦です。

そこで織田軍はいくつかの『手』を打ち、武田に『正面突撃』を『させた』らしいです。

まず細作、素破(忍者)を使い、武田軍や武田の領地に『織田軍は武田軍を恐れて、柵を設け、中で怯えている』
『あんな柵、大軍で一気に攻め込めばひとたまりもない』
『例え鉄砲があっても、大兵(大勢)ならば、鉄砲の途切れた所で辿り着ける!』

などという『やれそうな噂』を流しました。

それを裏付けるように『家康と相談した』という噂も。
家康は『三方ヶ原の戦い』において、武田軍に散々にやられた武将として『民衆にそう認知されていた』武将です。
噂の信憑性を高めるのに持ってこいでした。

そして、大軍が『動きやすい』長篠に陣を構えます。

一方、勝頼率いる武田軍は、父信玄でも落とせなかった高遠天神城を落とし、領内(武田軍の武将はほとんどが土着型)から武田軍に有利な噂ばかり届き、ノリノリでした。

この様な背景から『武田軍の突撃』が織田により『誘導』され、鉄砲は鳴り止む事はなかった…

かくして栄華は落日せん…


武田軍は突撃戦を決めた時点で敗北が決まり、それをせしめた織田軍の作戦勝ちで、表の戦いの前に、忍び達の情報戦で勝負がついていた!というのが、本当の所でしょう。


武田にも有名な忍びはいましたが、勝頼に代替わりした頃からぱったりと姿が感じられなくなります。

また、武田忍びは有名過ぎたのかも知れません。
徹底的にマークされ、また山本勘助など、忍びを使うのに長けた武将の死があり…

忍者が成果を上げるには『上手く使ってくれる人間』が不可欠ですから。

何より信玄の死が大きかったのでしょう。
忍者は身分が低いからこそ『現実主義』で、忠義の概念が薄い為、見返りが多ければ、あっさり主人を変える事もあります。

長篠の舞台裏では暗闘があったようですね…

織田信長という人物はキャラやエピソードに隠れて、あまりイメージにないかもしれませんが『信長公記』などからみるに、忍者の使い方が実に上手い人物、またはそういう人物が側にいたようです!
さて今回は誰か? お楽しみに!