坂本龍馬とその周りの人物を生み出した背景には、関ヶ原とその後が深い影響を与えています。
まず土佐
関ヶ原にて西軍に属した長曽我部氏なき後、土佐を拝領したのが妻のへそくりで有名な山内一豊。
一豊は本来、戦国武将タイプではなく、コツコツと地道に努力を積み上げ、妻の尻にはしかれっぱなしの温厚タイプ。
この一豊が土佐に入った時、土佐国人の反発にあった。
カチンときた一豊は城から、もといた土佐国人を廃除し、自分の家臣をあて、足りない分はわざと牢人を新規に募集。
一豊は、これで国人衆が詫びを入れると思ったのですが、また反発!小規模な反乱になった。
いくら温厚な一豊もこれには激怒!
怒った一豊は、反乱分子を相撲大会と振る舞い酒をエサに、桂浜に集め、皆殺しにしてしまった。
この日より土佐に『上士・下士』という身分制度が出来てしまいました。
いわば上士は『関ヶ原以降、勝った山内一豊に連れられてきた家臣』
下士は『関ヶ原で負けた長曽我部家に以前から仕えていた家臣』
という事です。
以後、下士は半農半士の制度と、上士からの徹底的な弾圧と身分差別を江戸250年あまり受け続ける訳です。
これが土佐の若者達の原動力の一つとなっていったのでしょう。
ちなみに龍馬の家には『ウチは天下の謀反人の家系じゃき』という言い伝えが残されています。
曰く、本能寺で織田信長を討った明智光秀に繋がる者だという話です。
家門も同じ桔梗(龍馬の家は重ね桝に桔梗)です。
と言っても直系ではなく、明智光秀の義弟で、坂本城を守っ明智左馬之助光春(光俊)が先祖だという事らしいです。
『左馬之助の湖水渡り』で有名な左馬之助が、琵琶湖という大海を渡り、味方からも対岸の敵からも喝采を受け、燃え落ちる城に消えていった。
どこか龍馬とダブっている気がします。
今回の大河ではどの様に『描かれ』『演出』されるか!
楽しみです!
それが『ものを読む楽しみ』でもありますからね!
まず土佐
関ヶ原にて西軍に属した長曽我部氏なき後、土佐を拝領したのが妻のへそくりで有名な山内一豊。
一豊は本来、戦国武将タイプではなく、コツコツと地道に努力を積み上げ、妻の尻にはしかれっぱなしの温厚タイプ。
この一豊が土佐に入った時、土佐国人の反発にあった。
カチンときた一豊は城から、もといた土佐国人を廃除し、自分の家臣をあて、足りない分はわざと牢人を新規に募集。
一豊は、これで国人衆が詫びを入れると思ったのですが、また反発!小規模な反乱になった。
いくら温厚な一豊もこれには激怒!
怒った一豊は、反乱分子を相撲大会と振る舞い酒をエサに、桂浜に集め、皆殺しにしてしまった。
この日より土佐に『上士・下士』という身分制度が出来てしまいました。
いわば上士は『関ヶ原以降、勝った山内一豊に連れられてきた家臣』
下士は『関ヶ原で負けた長曽我部家に以前から仕えていた家臣』
という事です。
以後、下士は半農半士の制度と、上士からの徹底的な弾圧と身分差別を江戸250年あまり受け続ける訳です。
これが土佐の若者達の原動力の一つとなっていったのでしょう。
ちなみに龍馬の家には『ウチは天下の謀反人の家系じゃき』という言い伝えが残されています。
曰く、本能寺で織田信長を討った明智光秀に繋がる者だという話です。
家門も同じ桔梗(龍馬の家は重ね桝に桔梗)です。
と言っても直系ではなく、明智光秀の義弟で、坂本城を守っ明智左馬之助光春(光俊)が先祖だという事らしいです。
『左馬之助の湖水渡り』で有名な左馬之助が、琵琶湖という大海を渡り、味方からも対岸の敵からも喝采を受け、燃え落ちる城に消えていった。
どこか龍馬とダブっている気がします。
今回の大河ではどの様に『描かれ』『演出』されるか!
楽しみです!
それが『ものを読む楽しみ』でもありますからね!