糞大学、と長い間考えていた | camouflage

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いつもの通り

中学3年初、クラスで成績が、20番ぐらいだったが、自分で

このままでは、よくない、勉強して少しでもレベルを上げないと、と一念発揮した俺だが
最初はなかなか、上がらなかったが、秋から冬になり、成果が出始め、最後はクラスで2位、県内1位レベルの佐賀西高校へ行けるレベルになった

しかし、先生が、●●くんは佐賀北辺りでのんびり部活とか勉強をしてるぐらいで良いですよ
と、西高を受けない方がいいという勧めを出し、西高は止めとけ、とやんわりかわした
あ~、無理して、受けても良かったんじゃない?
R高校の試験と北高の試験を受けたが、楽勝だった

しかし、北高に行く気持ちではない
父と母と話していて、東京や関西では私立高校がレベル高いよね、開成とか久留米大付とかが、だからR高校に行かせて!勉強がしたいんだ

確かにR高校は勉強するのにちょうど良さげな雰囲気だった
当時、パンフレットを頂いたのだが、ここが一番良いのでは?
と、感じ、親に頼んだ
R高校入ったら、奨学生・特待生になれるような通知があったはずだ

よし、R高校へ行こう、父さんも応援する

って、あっさりR高校へ入れた
北高は棄てた
R高校ではひたすら勉強出来た
この先生、大学院生て?って思える先生もいて、国公立●●大を念頭に起き、2年中盤までは苦労したが、3年の秋口には、センター試験800点は楽に行けるだろうという、という場所にいたのね、俺
さっきの投稿見たら
私立は目安として青学を目標にして、青学に楽に行けるぐらいの成績にしようと、勉強していた

俺は、3年間特待生活を守り、さあ、センター試験だ!



と、いうことになり、夢は消えそうで、渋々青学に通う大学生活になっていた
ついでに早稲田慶応とか受けて良かったなあ、という気分にもなる
ずーっと青学を恨んでいた

無理して、飲み会とかディズニーランドへ行ったり
国家公務員になる夢は消えて行った

人間関係を構築するには良いんじゃない?という程度
勉強は、出来ない

韓国では何故か、名前が知られていて優遇されてばかりいたが
そんな時に韓国留学生のご夫妻に会い
あの方々は恩人だ


で、優希がいる
ささやかではあるが、楽しい日々
多分選択は間違いなかったと思う
青学は長い間憎んでいたが、優希は韓国では青学は一流よ?受かっただけ良かったよ、って優しい事を言う
ようやく容認出来てきた

これで良かったのかな