こんにちはSHELLYです。今年も去年に引き続き、12月30日にWの悲喜劇特別版「Mの悲喜劇」を放送します。今年は「令和のキング・オブ・オッサン」ということで、「キレるオッサン」と、バブルを引きずった「ギラギラオッサン」、人生諦めてしまった「燃えないゴミオッサン」が登場しますよ。
この中では多分キレるオッサンが一番タチ悪いですね。キレてる本人も、なんとなく自分の正義があったりするから余計タチ悪くて、その人に対していくらこっちの言い分を言ったって、全く聞き入れないから。
「自分はキレるオッサンなんだ」ということに気づいた人の話は面白かったですね。それは「他の人には他の人の正義があるんだ」っていうことに気づいているから。それに気がつくまでは全く手がつけられないんだということが分かりましたね。
本当にドン引きの内容の、超リアルな最低のキレオッサンが出てくるっていうところが面白いですよね。本当にニュースに出てくるような人たちじゃないですか。だけどその人たちの「キレる前」が見られると思ったら、この人たちはそんな思いでキレてるっていうのが見られるっていう…だからってキレていいってもんではないですけど、なんでああなっちゃうのか、というのが垣間見られるっていう意味では面白いかもしれないですね。
ギラギラオッサンは本当に、まんまギラギラの人もいれば、「いやいや僕なんか本当に普通に真面目にやってるだけですから」と言いつつ、ギラギラ時代を味わってるからこそ身についてるハングリー精神だったり、仕事に対するプライドだったり、「男はこう、女はこう」みたいな、上の世代特有の「男たるものこうあるべき」みたいなものが出てるのが面白かったですね。
りゅうちぇるとも言ってたんですけど、彼らは魅力的でしたね、仕事はしたくないけど。なんかきっと一緒に仕事したらセクハラになったりパワハラになったりする人たちじゃないですかまさに。気づかずにそれをやっちゃってる人たちだからきっと。だけど、生き物としてのなんとなく輝いてる感じはすごくあって、なんかそれはすごくいいなあって。そこだけ残してパワハラセクハラは無くす、みたいな。謎の生命力は残して、良さは残して、もう少し視野を広げられるといいのかもしれませんね。
明日は「燃えないゴミオッサン」に対して感じたことを書きますね。
Wの悲喜劇特別版「Mの悲喜劇」~令和のキング・オブ・オッサン~