第三百八十四弾「 新しい世界」の続きです

 

 

第十四章 人質
 ミュルミドンを放って一週間が経った頃、
本部から上がってきた解析結果は、
薫たちの想像を超えるものだった。

 備品の持ち出しに関わっていた社員は、複数人。
だが、その誰もが自らの意志で
動いていたわけではなかった。

「家族を、人質に取られてる」

 田中は報告書を読み上げながら、
珍しく眉間に深い皺を刻んでいた。
子供を送り迎えする際の映像。
配偶者が一人で買い物に出る時間帯の記録。
脅迫の手口は、あまりにも周到だった。
狙われた社員たちは皆、
抵抗する術を持たなかったのだ。

「誠和は、L'sの傘下だ。
それを知った上で狙ってきた
――そう考えるのが妥当だろうな」

 田中の声には、怒りとも諦めともつかない、
抑えた響きがあった。
薫は、拳を握りしめずにはいられなかった。
ホワイトボードの一件を「実害はない」
と笑っていた自分の甘さを、
今更のように突きつけられた気分だった。

 ミュルミドンたちは、即座に標的を切り替えた。
備品盗難の手引きをしていた社員たちを追跡し、
その自宅に忍び込み、監視を開始する。
三センチの小さな機体が、壁の隙間から、
換気口の奥から、家族の無事を、
そして脅迫者たちの動きを、静かに記録し続けた。

 だが、監視対象が増えるほどに、
投入していたミュルミドンの数は
目に見えて足りなくなっていった。

「流石に、相手の規模が大きすぎるな」

 田中が端末を睨みながら呟いた。

「本部に応援を出してもらおう」

第十五章 公園の老人
 誠和コーポレーションのビルから歩いて
数分の場所に、小さな公園があった。
噴水も遊具も色褪せた、地味な公園だ。

 その公園のベンチに、
一人の老人が頻繁に腰掛けるようになったのは、
ちょうどその頃からだった。

 薄汚れたコートを着込み、
何かをぶつぶつと呟き続ける老人。
時折、大きく手を振り回すこともあった。
通りかかる主婦や学生たちは、
目を合わせないよう足早に通り過ぎていく。
あの人、大丈夫かしら
――そんな囁きが、
公園の片隅で交わされることもあった。

 老人の肩に、時折、小さな虫のようなものが止まった。それに気づいた者は少なかったが、気づいた者も、
蠅か何かだろうと気にも留めなかった。

 その正体を知る者は、
この街に、ほんの一握りしかいなかった。

 あれは、蠅そのものを模した超小型のドローンだった。

そしてその内部に搭乗しているのは、
他でもない――ミュルミドンだった。

 老人は、エイキュー警備保障から
この任務のために派遣された、
専任のオペレーターだった。
同時に一万体を超えるミュルミドンを操り、
その全ての視覚情報、聴覚情報を並列に処理する。
傍目には独り言にしか聞こえない
ぶつぶつとした呟きは、実のところ、
頭の中を駆け巡る膨大な情報量を、
無意識のうちに口に出さずにはいられない、
いわば「処理の副産物」だった。

 老人の唇は、絶え間なく動き続けていた。
その一言一言の奥で、街中に展開された
一万を超える視点から流れ込む情報が、
瞬時に選別され、優先順位を付けられ、
本部へと送信されていく。
誰にも気づかれることのない場所で、
この街の裏側は、確かに守られていた。

第十六章 武闘会
「本部から情報が来た」

 詰所に戻った田中が、端末の画面を薫たちに向けた。

「社員を脅していたのは、関東最大の暴力団組織
――『武闘会』の生き残りだ」

 その名前には、薫も聞き覚えがあった。
数年前、警察の大規模な摘発によって
事実上の壊滅状態に追い込まれた、かつての巨大組織。
その残党が、まだこんな形で暗躍していたとは。

「なら、俺の出番だな」

 詰所の入口から、聞き慣れない声がした。

 振り返った薫の目に映ったのは、
体格の良い、若い男だった。
鍛え上げられた肩幅と、
どこか飄々とした表情のアンバランスさが、
妙に印象に残る。

「坂本蓮。本部から追加要員として来た」

 自己紹介もそこそこに、
坂本は当然のように話を進めていく。
薫は反射的に一歩前へ出た。

「俺も行きます」

「お前はダメだ」

 田中の声は、
静かだったが有無を言わせぬ強さがあった。

「お前の任務は、
あくまで誠和コーポレーションの警備だ。
持ち場を離れるべきじゃない」

 悔しさを飲み込む薫の耳に、
続けて田中が発した一言が飛び込んできた。

「それに――半年前、あの『武闘会』を
事実上壊滅に追い込んだのは、この坂本蓮だ」

 薫は絶句した。
関東最大と謳われた組織を、
たった一人で。にわかには信じがたい話だった。

「発端は、高校で受けたイジメらしいぞ」

 田中が付け加えたその一言に、薫は言葉を失った。
高校でのイジメが理由で、
暴力団最大組織を壊滅に追い込む
――規模も動機も、あまりに釣り合っていない。

(どれだけ、なんだよ……)

 呆れと戦慄の入り混じった感情で
坂本を見つめた薫は、そこでようやく、
ある事実に気づいた。
彼の顔立ち、その若々しさ。

「……年下、なのか」

 思わず漏れた呟きに、坂本は悪びれもせず、
にっと笑ってみせた。

「そうだけど、何か問題あるか?」

 薫は、答えることができなかった。
自分より若い男が、たった一人で
関東最大の暴力団を壊滅させ、
しかもそれを当然のように語ってのける。
この会社に足を踏み入れてから、
薫は幾度となく「規格外」という言葉の意味を
思い知らされてきたが、
この日また一つ、
その理解の深さを更新することになった。

(以降 続く)