第三百六十三弾「 偽りの勇者 ―K2転移録―」

第三百六十四弾「 偽りの勇者 ―K2転移録― その2」

第三百六十五弾「 偽りの勇者 ―K2転移録― その3」

第三百六十六弾「 偽りの勇者 ―K2転移録― その4」

第三百六十七弾「 偽りの勇者 ―K2転移録― その5」

第三百六十八弾「 偽りの勇者 ―K2転移録― その6」

の続きです

 

 

# 偽りの勇者 ―K2転移録―

## 第二十五章 暴力装置

 左腕を失い、地面に倒れ伏したまま
気を失っているヴェイスを、
いつの間にか数人の男たちが取り囲んでいた。
かつてこの街の裏社会を仕切っていた組織
――今はK2の配下となった、元チンピラたちだった。

「この男、どうします? 
今なら俺らでも、やれそうですけど」

 若い男の一人が、リーダー格の男に問いかけた。
倒れた暗部工作員は、
片腕を失い、大量の血を流している。
今なら数人がかりで止めを刺すことは容易いだろう。

「いや。
ボスの指示だと、このままにしておけって話だ」

 別の男が、腕を組みながら答えた。
声には、いくらかの緊張が滲んでいた。
ボスと呼ばれる存在――
すなわちK2――の指示に逆らうという選択肢は、
彼らの頭の中には最初から存在しなかった。

「王国暗部っていうから、
得体の知れない悪意の塊みたいなもんだと
思ってましたけど、こうして目の前で
倒れてるのを見ると、ただの人なんですねぇ」

 若い男が、感慨深げに呟いた。
倒れているヴェイスの顔は、苦悶に歪んでいるものの、
ただの一人の男の表情に過ぎなかった。
伝説めいて語られていた王国暗部の恐ろしさとは、
あまりにもかけ離れた、生々しい姿だった。

 リーダー格の男は、その言葉に、しばし沈黙した後、
ゆっくりと口を開いた。

「基本的には、俺たちと同じさ。
しょせん、暴力装置でしかない。
違うのは、頭がどこにあるかってことだけだ」

 男は、倒れたヴェイスに一瞥をくれながら、
続けた。

「そして、暴力に対抗できるのは、
結局のところ暴力でしかない。
よく世間じゃ、正義だ悪だって騒がれるが、
あんなのは、片方が自分たちの都合で
勝手に決めつけているだけのもんだ。
俺たちだって、少し前まではこの街の住人に
さんざん『悪党』って呼ばれてたが、
ボスに代替わりして方針が変わっただけで、
住人の誰も、俺たちを悪だなんて言わなくなった」

 誰かが、小さく息を呑む気配がした。
リーダー格の男は、乾いた笑みを浮かべながら、
言葉を締めくくった。

「頭が違うだけで、中身は同じなのにな。
周りの評価なんてもんは、驚くほど簡単に変わる。
そういうもんだよ」

 それだけ言うと、
男はヴェイスを路傍に放置したまま、
指示された次の現場へと足を向けた。
他の男たちも、無言でそれに続いた。
夕闇の迫る路地に、
気を失ったヴェイスだけが、独り取り残された。

## 第二十六章 尽きぬ魔力

 マリアの強さの根源は、
その圧倒的な魔力量にあった。

 彼女が体内で生み出せる魔力の総量は、
常人のそれとは比較にならないほど桁違いに多かった。
この規格外の魔力量こそが、
これまでマリアがどんな相手と対峙しようとも、
圧倒的な力で捻じ伏せてきた所以だった。

 だが、今、目の前を逃げる標的に対しては、
その常勝の方程式がまったく通用していなかった。

 どれほど魔力の精製量が多かろうと、
それを湯水のように消費し続ければ、
いずれ供給が追いつかなくなる。
これまでの任務で、
これほどまでに連続して魔法を行使し続けたことは、
マリアには一度もなかった。

 それでも、標的の魔力が尽きる気配は、
微塵も感じられなかった。

(まさか、私よりも、魔力の精製量が多いというのか)

 標的を追いながら、
マリアの脳裏にその疑念がよぎった。
だが同時に、記憶の奥底で、
何かがその考えを強く否定していた。
あり得ない、と。
しかし、その「あり得ない」理由を
具体的に思い出そうとした瞬間、
いつものように、頭の中に濃い霧が立ち込め、
それ以上の思考を阻んだ。

 そして、遂にその時が来た。
全力で使い続けた魔力が底を突き、
マリアはその場に、力なくうずくまった。

 膝をついたマリアの視界の中で、
標的の足が、静かに止まった。

「相変わらず、中級魔術や大魔術ばかりを多用して、
自分の魔力の持続時間を計算できていないな」

 標的――K2――が、静かに口を開いた。

「長期戦では、なるべく低級魔術で対応できるよう、
日頃から鍛えておくようにと、あれほど教えたはずだが」

 その言葉を耳にした瞬間、
マリアの脳裏に、何か大切なものが
蘇りかける感覚があった。
だが、いつもの霧が、それを執拗に押し留めていた。
思い出せそうで思い出せない、
その苛立ちが、マリアの顔をぎこちなく歪ませた。

「まだ、洗脳が解けていないのか」

 K2の声に、失望と怒りが色濃く滲んだ。

「世間知らずの子供ではあるまいし。
魔法師団長という肩書を背負っているなら、
そのくらい、自力で解いてみせろ!」

## 第二十七章 消えなかった愛情

 怒るということは、肉体的にも、精神的にも、
驚くほど消耗する行為だ。
ただ穏やかに、何事にも動じずに生きていく方が、
よほど楽に決まっている。

 それでも、大切な相手が過ちを犯そうとしている時、
人は怒る。
その怒りを通じて、相手の心に恐れを植えつけ、
危険な道を進む前に、ブレーキをかけさせようとする。

 どうでもいい相手には、そんな真似はしない。
どうでもいい人間が、どれほど間違った道を歩もうと、
知ったことではないからだ。
怒りを向けないということは、
結局のところ、
相手に対して無関心であることの裏返しでしかない。

(僕にはまだ、マリアに対しての、
親心のようなものが残っているんだな)

 自らの言動を顧みながら、
K2は改めて、
自分の中に燻り続ける感情の在り処を噛み締めていた。

 敵に寝返り、裏切られ、
自らの命を奪った相手であっても。
長年、実の娘のように慈しみ、
育て上げたという事実がある限り、
その愛情は、簡単には消え去ってはくれなかった。

 だが、それが自分の甘さであり、
油断であったことも、K2は痛いほど自覚していた。
物事には常に、メリットとデメリットが
表裏一体で存在する。
どちらか片方だけを都合よく切り離すことなど、
できはしない。
メリットを得たいのであれば、
それに付随するデメリットもまた、
受け入れざるを得ない。
すべては、両者を天秤にかけた上での、
総合的な取捨選択でしかないのだ。

 前世のK2は、マリアという存在から
多くのメリットを享受した。
師として、弟子の成長を見守る喜び。
孤独な人生に差し込んだ、温かな光。
そして、そのメリットの代償として、
彼女という存在が孕んでいたデメリットによって、
K2は命を落とした。

 それでもなお、K2は今も、
彼女を切り捨てるという選択肢を、
心の底から選び取ることができずにいた。

(僕も、所詮は人という枠組みから逃れられない、
その程度の存在なんだな)

 かつて周囲から「神に匹敵する」
とまで讃えられたK2であっても、
その中身は、結局のところ、
ただの一人の人間に過ぎなかった。
矛盾を抱え、割り切れない感情に振り回される、
不完全な存在だった。

「空気中の魔力を、少しでも吸収できるよう努力して、
魔法の持続時間を伸ばせと、あれほど教え込んだはずだ。
それなのに、まったく努力しなかったんだな! 
この、愚か者めが!」

 K2は、感情を隠すことなく吐き捨てるように叫んだ。
そして同時に、
その手のひらから、静かな光が放たれた。

 長きにわたり、マリアの意識の奥深くに巣食っていた
誘導の呪縛――洗脳の術式が、
その光によって、静かに、確実に解かれていった。

 廃屋の陰に、夕闇の静寂が満ちていた。
うずくまったままのマリアの瞳に、
これまで決して晴れることのなかった霧が、
初めて、ゆっくりと晴れていこうとしていた。

――以降、続く