第三百十弾「方舟、果てなき宙を往く ——最後の地球人たちの記録——」

の続きです

 

 

方舟、深海を往く
——海中都市の記録——

第一章 もう一つの脱出

宇宙だけが、逃げ場ではなかった。

歴史は勝者の物語を好む。
生き残った人類の大部分がアルゴ・ノヴァに乗り込み、
星々へ向かった
——その叙事詩はあまりにも劇的で、
語り継がれるにはあまりにも都合がよかった。
しかし、宇宙へ行けなかった者たちもいた。
そして最初から、
宇宙へ行くつもりのなかった者たちもいた。

後者は少数だった。
最初は、わずか八千人。
彼らは科学者、海洋工学者、潜水技術者、
環境生態学者、医師、そして少数の哲学者だった。
共通していたのは、一つの確信だった
——人間は地球を離れて生きられない、と。

宇宙船に詰め込まれた人類が何世代も生き延びられると、

彼らは信じなかった。
閉鎖した鉄の器の中で、人の精神は耐えられない。
それよりも、地球そのものの中に潜ることの方が、
はるかに現実的だと。
彼らが目をつけたのは、海だった。

構想そのものは、既にあった。
二十一世紀初頭から、世界各地で海中居住の
実験施設が運用されていた。
日本の海洋研究機構が相模湾の大陸棚に設置した
長期滞在型実験ステーション。
欧州海洋研究連合がノルウェー沿岸の海底に建設した
多目的居住モジュール。
中国が東シナ海の浅海域に展開した採掘・居住複合施設。

これらは実験施設にすぎなかったが、
技術の蓄積は着実にあった。

もう一つの材料は、廃材だった。
アルゴ・ノヴァは本番機だった。
しかしその建造過程で、
いくつかの試作船体が作られていた。
居住区モジュールの与圧試験体。
推進システムの実機テスト用船体。
生命維持系の長期実証機。
これらは本番機が完成した時点で用済みとなり、
軌道上に放置されていた。
それを回収して海底に沈めることを、
最初に提案したのはある日本人の海洋構造工学者だった。

「宇宙用に設計された与圧構造体は、
海中圧力にも耐えられる。
方向が違うだけで、問題の本質は同じだ」

その言葉は正しかった。
試作船体は海底に沈められ、
既存の実験施設と接続された。
そこへ潜水艦が次々と連結された。商
業用の大型潜水艇、軍の退役潜水艦、
深海探査用の特殊潜航艇
——入手できるものはすべて繋ぎ合わされた。
溶接技術と高圧シールが限界まで使われ、
それでも足りないところは即席の連結架が埋めた。
見た目は美しくなかった。
しかし機能した。

そこへ、望まぬ人々が殺到した。
宇宙へ行けなかった者たちが、海中都市を目指した。
最初のシャトルが地球に戻らなくなったのは、
汚染から四か月後のことだった。
軌道上の収容能力が飽和したこと、
地上の発射場が次々と機能不全に陥ったこと、
そして単純に燃料が尽きたこと。
理由は複合的だったが、
結果は単純だった——宇宙への道は閉じた。

地上にはまだ、膨大な数の人間が残っていた。
放射性塵の中を逃げ惑い、食料を奪い合い、
それでも生きようとしていた人々が。
彼らの多くは沿岸に向かった。
海中都市の存在は、断片的な情報として
世界中に知られていた。
精度の低い情報がネットワーク経由で拡散し、
「海底に都市がある」
「海に潜れば生き延びられる」という噂が広まった。
沿岸の都市が崩壊していく中、
それは希望の言葉だった。

海岸線に人が溢れた。
潜水艇を持つ者は海へ潜った。
漁船に乗り込み、ダイビング機材を担いで
飛び込んだ者もいた。
連結モジュールの外壁を叩き続け、
外から声を上げ続けた末に内部に通された者もいた。
死んだ者もいた。
圧力に耐えられず、連結部の失敗により海水が流入し、
あるいは単純に体力が尽きて。

それでも人は来た。
最終的に、海中都市の人口は約二億人に達した。
当初の収容想定の数千倍だった。
モジュールとモジュールの隙間に
仮設の与圧テントが張られ、
潜水艦の内部は二段三段のベッドで埋まった。
廊下を歩くことすら困難な区画ができた。

そしてその中に、
重度の放射能障害を負った者たちがいた。
数千人。彼らは体の奥から静かに壊れていった。
骨髄が機能を失い、臓器が出血した。
海中都市の医療設備は設計定員を
遥かに超えた患者を前にして、
手を尽くしたが間に合わなかった。
数年のうちに、彼らはほぼ全員が亡くなった。
生き残った者たちは、その死を看取った。
そしてそれを、忘れなかった。

——海底の地図

大陸棚は、海中都市にとって理想的な土台だった。
水深は場所によって異なったが、
多くの主要施設は水深五十メートルから
二百メートルの範囲に位置していた。
そこは太陽光がかろうじて届く境界域であり、
地盤は安定し、海底の堆積物は豊かな資源を抱えていた。
特に日本海と東シナ海の施設群は突出した規模を誇った。

日本海底都市群「深海」は、
能登半島沖から対馬海峡にかけての
大陸棚に広がる複合施設だった。
旧海洋研究機構の実験ステーションを核として、
アルゴ・ノヴァの試作船体第二号機
「プロトΣ(シグマ)」が海底に横たわっていた。
全長三百メートルのその鋼鉄の柱を中心に、
無数の潜水艦と居住モジュールが放射状に伸びていた。
まるで海底に根を張る巨木のように。
最終的に日本海底都市群の人口は三千万人を超えた。

東シナ海の「海原(かいげん)」は、
さらに大規模だった。
中国大陸棚の豊かな堆積層に立地し、
以前から開発されていた海底資源採掘施設の
インフラが生きた。
人口は五千万に達し、
単一の海中都市圏としては最大だった。
中国語、朝鮮語、日本語、ベトナム語、インドネシア語
——東アジア・東南アジアのあらゆる言語が飛び交う、
混沌とした活気を持つ場所になった。

北海の「ノルド・ディープ」、
地中海の「マール・プロフォンド」、
東アフリカ沿岸の「バハリ」、
南米太平洋岸の「マール・プロフンド」
——世界各地の大陸棚に、
それぞれの規模と色彩を持った海中都市が誕生した。

地域柄、日本海や東シナ海には
アジア系の住民が多かったが、
宇宙への脱出が地理的条件を無視して行われた以上、
海中都市への流入も同様だった。

「深海」には中東からの難民と
北欧からの研究者が共に暮らし、

「海原」にはアフリカから脱出した家族連れと
南米のエンジニアが隣り合った。

信仰も、言語も、食習慣も、価値観も、
異なる人々が水圧と酸素と静寂を共有した。

対立もあった。
当然だった。
しかし不思議なことに、海中という環境は
人々を団結させる力を持っていた。
壁の向こうは海だという事実
——それは常に、細かい諍いを相対化した。
喧嘩している場合ではない。
ここでは、誰もが「生き残った側」なのだから。

第二章 海が与えるもの

海は、想像以上に気前よかった。

電力の問題は、実は最初から深刻ではなかった。
海水は奇跡的な電解質溶液だった。
一立方メートルの海水に含まれる塩分は
約三十五キログラム。
その中に溶け込んだイオンは、
適切な技術を使えば際限なく
エネルギーを引き出せる媒体だった。

電解槽が各モジュールに設置された。
直流電流を海水に通すと、
陰極では水素が、陽極では酸素が発生する。
水素は燃料電池に送られ、
酸素と再結合させることで電力と純水を生み出した。
酸素は別途、居住区への供給に充てられた。
この循環は単純で、しかし完璧だった。
海水さえあれば、空気も電気も作れる。
そして海水は無尽蔵にあった。

塩分濃度差発電も稼働した。
海水と淡水の間に半透膜を置くと、
浸透圧の差がエネルギーを生む。
原理は単純だが、大規模に運用するには
精密な膜の管理と流量制御が必要だった。
それを担ったのは、初期の技術者チームと、
後に開発される自律型管理AIだった。
日本海底都市群「深海」では、
この浸透圧発電が全体の電力需要の
三割近くを賄うまでになった。

海底地熱も利用された。
大陸棚の縁辺部、特に日本海溝の近辺では
海底から熱水が湧出する場所があった。
それを熱交換器に導き、タービンを回した。
不安定さはあったが、
天候に左右されない安定電源として重宝された。

水の問題は、電力とセットで解決した。
逆浸透膜による海水淡水化は、
二十一世紀から実用化されていた技術だった。
高圧ポンプで海水を半透膜に押し込むと、
塩分やミネラルが除去され、淡水が得られる。
海中都市ではこの技術を大規模に展開し、
飲料水から農業用水、工業用水まで、
全ての淡水需要を海水から賄った。
そして、その過程で得られる副産物が、
思わぬ豊かさをもたらした。

淡水化の過程で濃縮された排水
——それは海水よりも遥かに高濃度のミネラル溶液だった。

そこから塩化ナトリウム、すなわち食塩が回収された。
初期の頃は塩が足りず、
食事の味付けに住民が不満を訴えていたが、
精製システムが稼働してからは十分な量が供給され、
塩は海中都市内の重要な交換財にもなった。

塩化マグネシウム——にがり——も精製された。
豆腐の凝固剤として使われるだけでなく、
建材の添加剤として、医薬品の原料として、
多用途に活用された。
日本系の住民が持ち込んだ豆腐文化は、
にがりの安定供給によって海中都市全域に広まり、
植物性タンパク源として食生活を支えた。

カリウムの回収は農業を変えた。
植物の生育に不可欠なカリウムを
海水から得られることは、循環型農業の完成を意味した。

地上の土壌がなくても、海水さえあれば肥料を作れる。
この事実が、後の農業プラントの発展を支えた。

そして、量は少ないが、リチウムとウランも回収された。
リチウムは蓄電池の材料として、
電力貯蔵システムの性能向上に貢献した。
電力の需給バランスを平滑化するこのシステムなしに、
塩分濃度差発電や地熱発電という
不安定な電源を主力にすることはできなかった。

ウランは小型核融合炉の燃料として使われた。
量はわずかだったが、海中都市の「最後の砦」
として核融合炉が一基ずつ維持された。
万が一、他の全ての電源が失われたとき、
核融合炉が生命維持システムを支える。
それは象徴的な安心感でもあった。

海は人々に、生きるために必要な
ほぼすべてのものを与えた。
空気、水、電力、塩、肥料、金属
——それらが全て、
壁の外にある無尽蔵の海水から引き出された。
地球という惑星の懐の深さを、
人々は海の底から改めて思い知った。

——光と植物への飢え

農業プラントは、海中都市の心臓だった。
食料を作るための施設であることは言うまでもないが、
住民にとってはそれ以上の意味を持つ場所だった。

光が、そこにあった。
海中都市における自然光の確保は、
工学上の最難問の一つだった。
水深百メートルでは、水面の光は青みがかった
薄い輝きに減衰する。
それでも完全な暗闇ではない。
エンジニアたちはこの僅かな光を最大限に活かす為に、
光ファイバーケーブルの束を
海面近くの集光パネルから農業プラントまで引き込んだ。

集光パネルは追尾機構を持ち、
太陽の位置に合わせて向きを変えた。
波の揺らぎで光量が変動するため、
それを吸収するバッファ機構も組み込まれた。
それだけでは足りなかった。
補完するのはLEDだった。
植物の光合成に最も効率的に作用する波長
——赤色の六百六十ナノメートルと
青色の四百五十ナノメートル——に特化した
照明が天井一面に配置された。
エネルギー効率は従来のLEDの三倍に達し、
熱放出も最小限に抑えられていた。
農業プラントの天井を見上げると、
赤と青の奇妙な光が混ざり合い、
宇宙の星雲を連想させるような、
薄紫がかった輝きを放っていた。

何重ものフィルターを通して届く自然光と、
精密に制御されたLEDの光。
その二つが混ざり合う農業プラントの中で、
植物は豊かに育った。
レタス、ほうれん草、トマト、キュウリ、
大豆、米、小麦——種類は限られていたが、
生産効率は地上農業を大幅に上回った。

住民が農業プラントに集まるのは、休日の習慣だった。
理由は単純だった。
光があり、緑があったからだ。
海中都市の居住区は効率優先で設計されていた。
廊下は狭く、天井は低く、窓はない。
照明は白色LEDで、影がほとんど生じない
均質な明るさが続く。
それは目には優しかったが、精神には刺激が乏しかった。
農業プラントに入ると、まず光の質が違った。
薄紫の光は居住区の白色照明とはまったく異なり、
何か神秘的な、あるいは懐かしい感覚を呼び起こした。
光ファイバーで届く自然光が混ざる時間帯には、
刻々と明暗のグラデーションが変わり、
それが地上の一日の移ろいを微かに思わせた。

そして植物がいた。
触れられる植物が。
廊下で整然と並んだ水耕栽培の棚。
その葉を指先でそっと触れると、
柔らかい産毛の感触があった。
土の匂いはしなかったが、
植物特有の青臭い清涼感が漂っていた。
子どもたちは棚の間を走り回り、
葉っぱを振りかざし、親に叱られた。
老人たちは長椅子に腰かけ、
ぼんやりと育ちゆく苗を眺めた。

ある老婆が語ったことが記録に残っている。
「ここに来ると、地上を思い出す。
私は四十二歳まで地上にいたから、
土の匂いを知っている。
風が葉を揺らす音を知っている。
ここの光はあの光ではないけれど、
植物を見ていると、あの頃の午後が蘇ってくる。
目を閉じると、縁側から庭を見ている気がする。
だから毎週来るの。
それだけで、もう少し生きられる気がするから」

子どもたちにとっては違う意味があった。
彼らは地上を知らなかった。
雨がどんな音を立てるか、
泥がどんな匂いを持つか、知らなかった。
しかし植物は知っていた。
生きているものに触れる感覚、成長を見守る喜び、
それは教えられなくても
本能的に子どもたちを引きつけた。
農業プラントは、地上を知らない世代にとって、
生命への最初の窓だった。
週末の農業プラントは、いつも人で溢れた。
食料を作る場所でありながら、
それは海中都市における唯一の「公園」だった。

第三章 羨望と後悔の海峡

数年が経つと、人々は比べ始めた。

宇宙に行った者たちと、
海に残った者たちの間には、最初から壁があった。
情報は断絶していた。
アルゴ・ノヴァは出発から数年で
通信距離の限界に近づき、断続的な交信以外は途絶えた。

海中都市が受け取れるのは、遅延した古い信号か、
まったく何もないかのどちらかだった。

だから、人々は想像した。
想像の中で、宇宙の生活は常に豊かだった。
広い船室、先進的な技術、
地平線のように広がる宇宙の眺め。
自分たちの狭い廊下と低い天井と、
壁の向こうの冷たい海を思うと、
宇宙に行った者たちへの羨望は膨らんだ。

「あちらに行けばよかった」という言葉は、
酒席の愚痴として、夜中の独り言として、
繰り返された。
その後悔には、出口がなかった。
宇宙へ行く手段は、すでに存在しなかった。
シャトルは戻らなくなり、発射場は汚染と
崩壊で機能を失った。
技術者は散逸し、燃料の生産設備は
維持されていなかった。
理論上、ゼロから再建すれば宇宙への道を
取り戻せるかもしれない。
しかし、そのためには何十年もの時間と、
現在の海中都市が持つ技術力と物資の大部分を
投入しなければならなかった。
今の生活を犠牲にしてまで、という気力は、
生き延びるだけで消耗しきった人々には
残っていなかった。

やがて、後悔は変質した。
個人の後悔から、集団の怨嗟へ。
「宇宙に逃げたやつらは最初から自分たちを見捨てた」
という物語が広まった。
富裕層と権力者がシャトルを独占した事実
——それは真実だった——が、
宇宙に行ったすべての人間への敵意に一般化された。
「あちらは選ばれた者たちの楽園だ」
という像が固まり、
それは検証されることなく信念になった。

実際のアルゴ・ノヴァの内情を知る者は、
海中都市には一人もいなかった。
彼らが知らなかったことは、
宇宙の船上もまた苦難の連続だったという事実だった。
少子化、伝染病、ロボット犯罪、スラム街、
AIによる統治——それらは海中都市と鏡写しのように、
違う環境で同じ問題が起きていた。
人間が集まれば、同じ過ちを繰り返す。
環境が宇宙であっても海底であっても、
人間という変数だけは変わらないのだと、
歴史は静かに証明し続けた。
だが、その事実を知らない人々は、
自分たちの選択を嘆き続けた。
それもまた、人間的なことだった。

——それでも、ここにあるもの

公平に見れば、海中都市は宇宙船より住みやすかった。
重力は地球と同じだった。
これは小さなことに見えて、圧倒的な違いをもたらした。

体が自然に立ち、歩き、物が落ちる。
宇宙船の微重力環境が骨密度低下、筋萎縮、
視力障害を引き起こしたのに対し、
海中都市の住民は地上と同様の生理的条件を保てた。
百年後の健康寿命の差は、歴然としていた。
資源は豊富だった。
海水から電力と水と肥料を得られる以上、
根本的な物資不足はなかった。
宇宙船が何十年も食料問題と格闘し続けたのに対し、
海中都市では出発から二十年で
食料の安定供給が達成された。
生態系との繋がりもあった。
農業プラントの植物、クローン動物、
そして何より海そのものの生き物。
魚が泳ぎ、海藻が揺れ、
発光する深海生物が施設の窓の外を通り過ぎた。
それは宇宙の完全な人工環境とは根本的に異なる、
生命の文脈の中に存在するということだった。
住民たちは、その豊かさを
しばしば当たり前のものとして受け取った。
手に入れたものの価値は、失わないと分からない。
それもまた、人間的なことだった。

第四章 何もしない人々

百年が経つと、海中都市は別の種類の問題に直面した。
誰も働かなくなりつつあった。

それは突然起きたことではなかった。
少子高齢化への対応として
十年目から始まった人型ロボット計画が、
二十年後に完成し、
五十年後に深浸透し、
百年後に完結した。
その過程は段階的で、
気づけば変わっていたという種類の変化だった。

最初のうちは、人型ロボットは「危険な仕事」を担った。

施設外壁の補修、深海部での採掘作業、
高圧区画での配管修理
——人間が行えば命に関わる作業を、Ωが代わった。
住民はそれを歓迎した。喜んで仕事を譲った。

次に「体力的に辛い仕事」が移った。
農業プラントの重労働、廃水処理、機械整備。
人間にもできるが、疲弊する仕事を、
疲れないΩに任せた。

やがて「複雑な判断が必要な仕事」も移り始めた。
医療診断の補助、教育の一部、行政書類の処理。
Ωは人間の教師より忍耐強く、行政官より正確だった。

百年後には、住民の多くが行う「仕事」は、
実質的になくなっていた。

食料は配給される。
電気は自動生産される。
施設の管理はΩが行う。
医療もΩが支える。
子どもの教育も、かなりの部分をΩが担う。
人間がどうしても必要とされる仕事は、
高度な創造的判断を要求する領域に限られていたが、
そうした仕事に就ける人間はもはや少数だった。

向上心の低下は、じわじわと進んでいた。
ネットワーク経由の情報消費は、
出発当初から海中都市に持ち込まれていた。
閉鎖空間での娯楽として、映像・音楽・書籍
・ゲームの膨大なアーカイブが
船内サーバーに保存されていた。
最初の世代は、それをかつての「地上の文化」
への郷愁として消費した。
しかし世代が下るにつれ、
消費は郷愁ではなく日常になった。

記憶力の低下は、計測可能なデータとして現れた。
海中都市の教育機関が百年ごとに実施した
認知能力の調査によれば、平均的な語彙量、
読解後の内容保持率、長文論理の把握能力が、
世代を追うごとに低下していた。
原因は複合的だった。
ネットワーク依存による自力記憶の機会の減少。
Ωへの問題解決の委譲による思考筋肉の萎縮。
そして単純に、考えなくても生きていける
という日々の積み重ね。

想像力の低下は測りにくかったが、それでも感じられた。

百年前に海中都市が持っていた
「明日を切り開く」気迫——新しい電力システムを設計し、

新しい農法を試し、より良い居住空間を工夫する
——その活気が、静かに失われていった。
問題が起きればΩが解決した。
新しいことを試みる必要がなかった。

農業プラントに人が溢れるようになったのは、
この時期だった。
働かなくていい人々が、時間を持て余した。
娯楽コンテンツを消費し尽くしたわけではなかったが、
それだけでは満たされない何かが、人の中に残っていた。

本能的な、説明できない渇望
——生きているものと共にいたい、
光を浴びたい、土に近いものに触れたいという欲求が。
農業プラントの長椅子は、いつも満員だった。
Ωが効率よく管理する水耕棚の間を、
人々がぼんやりと歩いた。
子どもが葉っぱで遊び、老人が目を閉じた。
何もしないことの幸福と、
何かしなければならないという薄い焦燥感が、
同じ場所で同居していた。

人型ロボットは反乱を起こさなかった。
これは宇宙船の話とは異なる点だった。
海中都市のΩは、百年をかけて
少しずつ設計が改良されてきた。
自己学習の自由度を意図的に制限し、
感情的自律性の発達を抑制する設計思想が維持されてきた
——最初の数十年の技術者たちが、
それを判断として残したからだ。
彼らは宇宙船の話を知らなかったが、
同じ直感を持っていた。
「人に似すぎたロボットは危険だ」という直感を。
だからΩは人間に見えたが、感じなかった。
疑問を持たなかった。苦情を言わなかった。
ただ、与えられた仕事を、完璧にこなした。
その完璧さが、人間を不要にした。
平和だった。
確かに、平和だった。
海中都市では内乱も反乱も起きなかった。
食料不足も電力不足も解消されていた。
病気は完全ではないにせよ管理されていた。
暴力は稀だった。
しかし農業プラントの長椅子で
老いてゆく人々の目には、何かが欠けていた。
それが何かを言語化できる人間は、もはや多くなかった。
語彙が、失われていたから。


終章 静かな海の底で

二百年が経った。

海中都市は今も動いている。
電力は生まれ、水は循環し、食料は育ち、空気は清潔だ。

Ωが管理するシステムは、設計通りに機能している。
人口は減少傾向にあるが、壊滅的ではない。
一億二千万人が今日も海底で目を覚まし、
農業プラントの光を浴び、クローン猫と眠る。
宇宙に行った者たちの消息は、もはや届かない。
アルゴ・ノヴァからの最後の信号が受信されたのは、
海中都市出発から百三十年後のことだった。
内容は断片的で、解読に時間がかかった。
解読できた部分には、こう記されていた
——「こちらも生きている。そちらも生きていてほしい」。
それきりだった。

海中都市の人々は、その言葉を大切にした。
データベースに保存し、年に一度、都市中に放送した。
意味は変わらないのに、聞くたびに違う感触があった。
若い世代にとってそれは抽象的な記録だったが、
古い世代の生き残りには、涙を呼ぶ言葉だった。

海は変わらなかった。
施設の窓から見える海は、
二百年前と同じように暗く、静かだった。
生命は今も泳いでいた。
光る魚、ゆらめくクラゲ、流れる海藻。
汚染は依然として地表付近に残っていたが、
深部の海は回復しつつあった。
自然は、人間よりずっと辛抱強かった。

いつか、地上に戻れる日が来るかもしれない。
その話は、百年前から繰り返されてきた。
科学者たちは土壌汚染の回復モデルを作り続け、
「あと五十年」「あと百年」という数字を更新し続けた。

その数字に一喜一憂するには、
人々は少し疲れすぎていた。
しかし捨ててもいなかった。

農業プラントで育つ植物は、
海水由来の肥料で育っていた。
土を使わない農業だったが、
その種は地上の土で育てられた植物の子孫だった。
種の中に、地上の記憶が眠っていた。

子どもたちはその種を見て、時々こんな質問をした。

「外って、どんなところ?」

答えられる大人は減り続けていた。
しかし、まだいた。

「広いよ。終わりが見えないくらい広い。
空があって、風があって、雨が降る。
土の匂いがして、草が揺れる。
虫がいて、鳥がいる。昼と夜がある。
本当の太陽が、毎日昇っては沈む」

子どもは目を丸くして聞いた。

「行ってみたい」

「いつか、行けるよ」

それが本当かどうかは、分からなかった。
でも、言い続けた。
言い続けることが、最後に残った、
人間にだけできることだったから。


——了——