財務省の分割と省庁の改革
これが出来なかったら
若者は日本を出た方がいいと思います
人は上げる事には貪欲ですが
下げる事はなかなか出来ません
今の財務省が存続したら
税金は今後も上がり続けるでしょう
蓄えが出来ない今の若者は
日本に残り続けたら
あっという間に人生が詰みます
# 霞が関の秋
### ――マジョリティの逆襲――
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## 第一章 売国の春
桜が散る頃、
田所誠一は書類の山に埋もれながら、
また一つため息をついた。
経済産業省の廊下を歩けば、
スーツ姿の外国人コンサルタントが
我が物顔で闊歩している。
アメリカの投資ファンド、ドイツの技術商社、
中国系のシンクタンク。
彼らは皆、丁寧に頭を下げる
日本の官僚たちに案内されながら、
この国の宝を値踏みしていた。
「また半導体の特許、売るんですか」
田所は上司の村瀬局長に小声で問いかけた。
村瀬は眼鏡のブリッジを押し上げ、薄く笑った。
「売るんじゃない。技術協力だ。
グローバルな連携が今の時代には不可欠なんだよ、
田所くん」
その「技術協力」の対価は、
民間企業が試算した適正価格の十分の一以下だった。
五十年かけて日本の研究者たちが積み上げてきた
半導体製造の核心技術が、
昼食代にもならないような金額で海を渡っていく。
そして翌年には、その技術を使った製品が
「日本製より優秀で安い」
と国内市場に逆流してくるのだ。
一方で、その年の確定申告を終えた田所の妻、
由美子は台所で黙ってため息をついていた。
「ねえ、去年より手取り減ってるよね。
給料上がったのに」
所得税、住民税、社会保険料、消費税。
可処分所得はじわじわと削られ続けている。
子供の教育費は上がり、
電気代は上がり、
食料品は上がる。
しかし政府の公式発表では
「家計の実質賃金は改善傾向」だった。
「どこの家計の話だろうね」
由美子はそう呟いて、
夕飯のスーパーのチラシを眺めた。
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同じ頃、
大阪の中小企業経営者・橋本浩二は、
取引先の技術者から信じがたい話を聞かされていた。
「うちの会社が二十年かけて開発した精密加工の技術、
ご存知ですか。それが今、中国のメーカーに
丸ごと使われてるんですよ。
特許を国が買い上げて、
それを『産業振興』名目で向こうに渡したらしくて」
「それ、補償は」
「雀の涙です。
そもそも当時は『国策に協力した』って感じで、
断れる空気じゃなかった。
今考えれば完全に騙された」
橋本は帰りの新幹線の中で缶ビールを一本開け、
窓の外の暗闇を見つめた。
自分たちの税金で養われた官僚が、
自分たちの技術を外国に渡す。
そして自分たちはより重い税を払わされる。
これは一体、何のための国家なのか。
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## 第二章 十四人の秋
十月の第二土曜日、
財務省の向かい側の歩道に、十四人の人間が集まった。
手書きのプラカード。
マスクをした中年の男女。
定年後らしき老人。
大学生らしき若者が数人。
スーツ姿のサラリーマンが一人、
昼休みの時間を使って来たようだった。
「財務省の解体を求めます」
声を上げたのは、
元高校教師の西村清子、六十二歳だった。
息子が勤めていた町工場が潰れ、
孫の奨学金の返済を手伝いながら、
年金の目減りに耐えている。
彼女が怒りをSNSに書いたところ、
見知らぬ人から「一緒にやりませんか」
とメッセージが届いた。
通り過ぎる人たちは横目で見て、足を止めなかった。
警察官が二人、
遠巻きに様子を見ていたが、何事もなく解散となった。
翌週も、その翌週も、人数はあまり変わらなかった。
二十人になった週もあれば、
雨で十人を割った週もあった。
ニュースにはならなかった。
しかし動画は、静かに広がっていた。
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SNSの中で、
誰かが書いた一文が少しずつシェアされていた。
*「声の大きい少数派が何十年も政治を動かしてきた。
僕たちは黙って見ていた。
でも黙っていることは賛成じゃない」*
いいね、の数が日に日に増えた。
コメント欄に「わかる」「私も行きたい」
「仕事があるから行けないけど応援してる」
という声が積み重なった。
一ヶ月が過ぎた。
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## 第三章 百から千へ
十一月の第一土曜日、
財務省前に集まった人数は、百三十七人だった。
前の週が四十二人だったから、
三倍以上に膨れ上がったことになる。
西村清子はその数を見て、思わず涙をこらえた。
「みんな、来てくれた」
老若男女が入り混じっていた。
子連れの母親。車椅子の老人。学ランを着た高校生。
エプロン姿のまま駆けつけたらしい主婦。
「有給使いました」
と書いたプラカードを持つサラリーマン。
プラカードに書かれた文字もさまざまだった。
*「孫に借金を残すな」*
*「技術を売るな、魂を売るな」*
*「税金は国民のためにある」*
*「私たちは黙らない」*
二週間後、その数は五百を超えた。
警察は増員した。機動隊の車両が周辺に待機した。
しかしデモの参加者たちは整然としていた。
怒鳴らない。
走らない。
壊さない。
ただ、立っている。
声を上げている。
その静かな怒りが、かえって見る者の胸を打った。
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転機は、一本の動画だった。
七十歳の元製造業技術者、加藤義雄が、
財務省に向かってゆっくり語りかける映像だった。
「私は四十年間、この国のために働いてきました。
夜中も休日もなく、世界に通用する技術を作った。
その技術が今、外国の会社で使われています。
私の息子の会社は仕事を失いました。
孫は奨学金を背負って就職しました」
老人の声は震えていた。
しかし目は、真っ直ぐに前を向いていた。
「おかしいと思いませんか。誰かが間違っている。
その誰かに、向き合ってほしいんです」
動画の再生数は三日で一千万を超えた。
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## 第四章 波濤
十二月。
霞が関の交差点は、
平日の昼間でも人でごった返すようになっていた。
一万人を超えたのはいつだったか、
もう誰も正確には覚えていない。
気がつけば、財務省の周りだけでなく、
国会議事堂の周辺まで人の波が広がっていた。
組織はなかった。指導者もいなかった。
SNSで「行く」と書いた人が行き、
「休めない」と書いた人が
「代わりに行って」とコメントした。
会社員が昼休みに三十分立ち寄り、
学生が授業の合間に顔を出し、
主婦が買い物袋を持ったまま輪に加わった。
それは運動ではなく、感情の総量だった。
長年、積み上がってきた怒りと悲しみと、
「これでいいわけがない」という確信が、
臨界点を超えたのだ。
十万人を超えた日、
警視庁は解散命令を出そうとした。
しかし現場の警察官たちは、
群衆を見渡して沈黙した。
老人がいる。
子供がいる。
スーツ姿の会社員がいる。
僧侶がいる。
医師らしき白衣の人間がいる。
歩行器を使いながら立っている老婆がいる。
暴力はどこにもなかった。
「これ、強制排除したら……どうなるんだ」
機動隊の隊長が呟いた言葉に、誰も答えなかった。
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政府の緊急会議室は、張り詰めた空気に満ちていた。
「一体どこから人が来ているんだ」
内閣官房長官の声には、隠しきれない動揺があった。
「全国から、です」
担当の官僚が資料を差し出した。
「新幹線の予約が週末ごとに跳ね上がっています。
東京圏だけでなく、大阪、名古屋、福岡からも。
ツアーを組んで来ている人もいます。
有給休暇の申請が増えているという企業からの報告も」
「扇動者は特定できていないのか」
「……いません。本当に、いないんです」
それが最も恐ろしかった。
切れる首謀者がいない。
交渉できるリーダーがいない。
逮捕して鎮静化する核心部がない。
怒りは霧のように、あるいは水のように、
あらゆる隙間から染み込んでいた。
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## 第五章 百万の声
年が明けた。
一月の第三土曜日、
東京都心部の交通はほぼ完全に麻痺した。
地下鉄の霞ヶ関駅は入場規制がかかり、
国会議事堂前駅は終日閉鎖された。
タクシーは近づけず、バスはルートを変更した。
航空写真で見ると、
千代田区全体が黒く染まっているように見えた。
人だった。
百万人を超える人間が、この小さな区画に集結していた。
ボランティアグループが自然発生的に組織され、
水や食料、使い捨てカイロが配られた。
医療ボランティアが巡回し、倒れた人を介抱した。
ゴミは参加者自身が持ち帰り、
トイレは近隣のコンビニや商業施設が協力して開放した。
誰が決めたわけでもなかった。
「自分たちの街を汚さない」という暗黙の了解が、
百万人の間で共有されていた。
外国のメディアが一斉に報じた。
*「日本で史上最大の抗議運動。しかし暴力は皆無」*
*「怒れる静寂
――日本の『サイレントマジョリティ』が動いた」*
*「民主主義の教科書になるかもしれない光景」*
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財務省の建物の中、
次官の黒川哲郎は窓の外を見られなかった。
見たくなかった、というのが正確かもしれない。
彼はキャリア官僚として三十年以上、
この国の財政を「管理」してきた。
予算の配分、税制の設計、政策の立案。
政治家は来ては去るが、自分たちは残る。
自分たちこそが国家の継続性を支えているのだと、
本気でそう思っていた。
しかし今、窓の下には何十万もの人間がいる。
(私が間違っていたのか)
その問いに、彼は正直に向き合えなかった。
代わりに、コーヒーを一口飲んで、
「民意の誘導が上手くいっていない」
という報告書を開いた。
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## 第六章 兵糧攻め
二月に入ると、状況は新たな段階へと移行した。
霞ヶ関周辺の交通網が恒常的に麻痺し始めたのだ。
省庁に出勤できない官僚が続出した。
国会議員の中にも、議事堂に辿り着けない者が現れた。
テレワークに切り替えようにも、
物理的な会議や決裁が必要な業務は止まる。
「建物の中から出られない」
という報告が増えてきたのはその頃からだった。
群衆が建物を取り囲んでいるわけではない。
しかし周辺の道路は文字通り人で埋まっており、
車は動けず、徒歩でも群衆をかき分けなければならない。
非常事態宣言の発令も検討されたが、
「何の非常事態か」
という問いに誰も答えられなかった。
感染症でもない。災害でもない。
国民が、そこに立っているだけだった。
ボランティアの食料配布は拡大し、
全国の農家や飲食店が物資を送り始めた。
「デモ応援米」「応援おにぎり」がSNSで話題になった。
北海道の農協が野菜を送り、
九州の漁師が加工品を段ボールで送った。
一方で、財務省と各省庁へのデリバリーは
「自然に」届かなくなっていた。
古典的な兵糧攻めが、誰の命令もなく、
市民の総意として実行されていた。
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国会の特別委員会では、議員たちが紛糾していた。
「これは民主主義の逸脱だ。
選挙で選ばれた我々が、
街頭の圧力に屈してはならない」
そう主張する議員の声は、空虚に響いた。
「選挙で選ばれた我々が、
この三十年間、何をしてきたんですか」
若手議員の一人が立ち上がった。
「技術は売られた。税は上がった。
官僚は誰にも監視されなかった。
有権者は声を上げ続けてきたのに、我々は聞かなかった。
外にいる人たちは、選挙では届かなかったから、
体で来ているんです」
委員会室が静まり返った。
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## 第七章 陥落
春の気配が漂い始めた三月の末。
デモが始まってから、ほぼ半年が経っていた。
参加者の総数は、週末のピーク時に一千万を超えていた。
東京だけでなく、大阪、名古屋、福岡、札幌、仙台、
全国の県庁所在地でも同様のデモが続いていた。
政府はあらゆる手段を試みた。
有識者会議の設置を発表した。デモは収まらなかった。
「改革検討チーム」の立ち上げを表明した。
デモは収まらなかった。
首相が記者会見で「国民の声を重く受け止める」
と述べた。デモは収まらなかった。
彼らが求めているのは、言葉ではなかった。
*財務省の分割。
全省庁の抜本的改革。
官僚制度の全面的見直し。
独立した官僚監視機構の設立。*
この四点が、デモの参加者たちが
共有していた最低限の要求だった。
それが約束されない限り、誰も動かなかった。
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首相の塚原一郎は、官邸の執務室で一人座っていた。
窓の外は人の海だった。
もう遠くの音が近くに聞こえる気がするほど、
人が満ちていた。
電話が鳴った。財務次官の黒川からだった。
「総理……もう、限界です」
黒川の声は、初めて聞く類の疲れ方をしていた。
「うちの若い職員が泣いているんです。
自分たちは国のために働いているつもりだったのに、
なぜこうなったんだと。
……私には、答えられませんでした」
塚原は長い沈黙の後、口を開いた。
「黒川さん、あなたは間違っていたと思いますか」
また沈黙が続いた。
「……思います」
黒川の声は、かすれていた。
「国民のためにやっていたはずが、
いつの間にか、制度のためにやっていた。
自分たちの判断が正しいと信じることが、
いつの間にか驕りになっていた。
外の人たちは……怒る権利があります」
塚原は受話器を置き、窓の外を見た。
百万の、いや、それ以上の人間が、そこにいた。
怒っていた。しかし暴れていなかった。
壊していなかった。しかし退かなかった。
それが最も重かった。
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翌朝、臨時の記者会見が開かれた。
塚原首相は、一枚の紙を持って演台に立った。
「国民の皆さんに、深くお詫び申し上げます」
頭を下げた角度は、深かった。
「長きにわたり、皆さんの声に、
私たちは十分に耳を傾けてこなかった。
政治と行政が、国民のために機能していたか。
その問いに、
今、正直に向き合わなければなりません」
そして彼は、四つの約束を読み上げた。
財務省の分割。
省庁の抜本的改革。
官僚制度の全面的見直し。
独立した官僚監視機構の設立。
「これは約束です。
法律として、国会で成立させます。
監視機構の設立は今年度中に。
皆さんの目で、見ていてください」
会見場は静まり返っていた。
外の群衆に、映像がリアルタイムで流れた。
誰かが泣いていた。
誰かが隣の人と手を握っていた。
誰かが空を見上げていた。
西村清子は、膝の上でプラカードを抱えたまま、
声もなく涙を流した。
半年前、十四人で立っていた場所で。
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デモの解散は、静かに始まった。
号令もなかった。指示もなかった。
首相の言葉が終わった後、人々は自然に動き始めた。
ゴミを拾いながら。
お互いに「お疲れさまでした」と言いながら。
見知らぬ人と握手しながら。
霞ヶ関の道路が、半年ぶりに空き始めた。
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## エピローグ 夏の終わり
その年の夏、
財務省は解体され、歳入庁と予算管理庁に分割された。
官僚の人事と行動を監視する独立機関、
「行政監視委員会」が発足した。
委員には民間人と有識者が選ばれ、
官僚出身者は三分の一以下に制限された。
黒川哲郎は三月に辞表を提出し、受理された。
後に彼は、小さな地方紙のインタビューに答えて
こう語っている。
「私は国家のために働いていると信じていた。
しかし国家と国民は違うものではない。
私が見失っていたのは、そこだったと思う」
彼の後に続いた上級官僚は多かった。
「改革後の省庁には自分たちの居場所はない」
と判断した者が大半だったが、
中には静かに「責任をとる」と言った者もいた。
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西村清子は、秋になって再び財務省の前を通った。
今度はプラカードを持っていなかった。
新しい庁舎の看板を見上げて、ただ立っていた。
隣に、孫の沙耶がいた。
「おばあちゃん、
あのデモ、本当にここから始まったの」
「そうよ。十四人で、ここに立ったの」
「すごいね」
西村は空を見上げた。
すごくはない、と思った。
遅すぎたくらいだ、と思った。
でも、遅くても、やらないよりはよかった。
「沙耶」と彼女は言った。
「おかしいと思ったら、黙らなくていいのよ。
多数派が黙ったら、
声の大きい少数派に全部決められてしまうから」
沙耶は少し考えてから、頷いた。
「うん。おばあちゃんが教えてくれた」
二人は肩を並べて、歩き始めた。
霞ヶ関の空は、高く澄んでいた。
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*マジョリティは、殴られ続けるサンドバッグではない。*
*それを、この国はようやく思い出した。*
*そしてその記憶は、次の世代に引き継がれていく。*
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**了**