日本の司法は

抜本的に改革すべき

時期に来たのだと思います

 

 

# 正義の夜明け

## 第一章 審判の日

 桜が散り始めた四月の朝、
東京地方裁判所の前に一台の報道車が止まった。

 矢島健太郎は五十三年間、
裁判官として法壇に立ち続けてきた。
白髪交じりの頭を整え、
今日も黒い法服を纏うつもりで自宅を出たが、
玄関先で二人の男に呼び止められた。

「矢島健太郎氏ですね」

 男たちは司法監察委員会の身分証を提示した。

 それが始まりだった。

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 同じ朝、
弁護士の倉田修一は渋谷の事務所で
煙草に火をつけようとしていた。
電話が鳴ったのはちょうどその時だった。

「倉田先生、
今朝のニュース、ご覧になりましたか」

 秘書の声は震えていた。

 テレビをつけると、速報テロップが流れていた。

*【司法監察委員会 
裁判官・弁護士・検察官の一斉調査を開始】*

 倉田は煙草を灰皿に押し潰した。

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 検察官の西村浩二は車の中でそのニュースを聞いた。
ラジオのスイッチを切り、しばらく窓の外を眺めた。
三年前、自分が下した判断が今になって問われる。
そのことは、どこかで予感していた。

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## 第二章 三つの罪

 司法監察委員会が公表した調査報告書は、
三つの事案を中核としていた。

 第一は矢島裁判官の件だった。

 十年前と六年前、
外国籍の男による女子高生への性的暴行事件において、
矢島は二度にわたって無罪判決を言い渡していた。
一度目は証拠不十分。
二度目は手続き上の瑕疵を理由に。
被害者の少女は、一度目の判決後から不登校になり、
二度目の判決が出た翌月、姿を消した。
家族は今も行方を知らない。

 法廷で泣き崩れた母親の映像は当時も報じられたが、
それきりだった。
矢島は翌年、昇進した。

 第二は倉田弁護士の件だった。

 十二年前、
連続殺傷事件の容疑者を弁護した倉田は、
精神鑑定を巧みに利用し、
懲役二十年の求刑を懲役五年に
減じさせることに成功した。
法廷での弁論は鮮やかだった。
司法界隈では「倉田の奇跡」と呼ばれた。

 しかし七年後、その男は出所した。
そして半年後、また人を殺した。

 被害者は二十四歳の女性だった。
名前は高橋さくら。保育士だった。

 倉田は当時、記者から問われてこう答えた。
「弁護士は依頼人の権利を守る存在です。
社会の責任を個人に転嫁しないでいただきたい」

 その言葉は今も、
高橋さくらの両親の心に刺さったままだった。

 第三は西村検察官の件だった。

 三年前、
飲酒運転の末に歩行者二名を死亡させた
外国籍の男の事案で、西村は不起訴処分を下した。
報告書には「在留資格への配慮」「外交的考慮」
という言葉が躍っていた。
被害者は初老の夫婦で、近所では
「いつも二人で散歩している仲の良い夫婦」
として知られていた。

 遺族の息子は「なぜ不起訴なのか」

と問い合わせたが、窓口でつれなく追い返された。

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## 第三章 国民の怒り

 司法監察委員会が発足した背景には、
長年にわたる積み重ねがあった。

 世論調査では司法への信頼度が
過去最低を更新し続けていた。
「司法は守られた人間を守るためにある」
という皮肉は、もはや冗談ではなく
実感として語られるようになっていた。
加害者の人権は手厚く守られ、
被害者は泣き寝入りを強いられる。
そういった事案が重なるたびに、
普通の市民の間には静かな怒りが蓄積されていった。

 沸点を超えたのは、高橋さくらの父親が
国会の参考人招致で証言した日だった。

「娘の命と、あの男の人権と、どちらが重かったのか。
誰か教えてください」

 老いた父親の問いに、議場は沈黙した。

 翌日から請願署名が始まり、
六週間で三百万筆を超えた。

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## 第四章 改革の波

 司法監察委員会の設置法が成立したのは
その翌年の春だった。

 委員会には強力な権限が与えられた。
裁判官・検察官・弁護士の過去の判断を
遡及的に調査し、著しく不当と認められる場合には
懲戒、罷免、さらには刑事告発を行うことができる。

 また新たに定められた制度として、
司法従事者への年次思想適性審査があった。
これは単純な思想統制ではなく、
「被害者の尊厳への感受性」
「職権乱用への自覚」
「公正性の担保」を問う実質的な職業倫理の審査だった。

不合格が続けば免職。
法曹界からは猛烈な反発があったが、
国民の支持率は七十八パーセントに達した。

「当然のことが、ようやく当然になっただけだ」

 ある被害者支援団体の代表はそう語った。

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## 第五章 矢島の言葉

 矢島健太郎は調査の過程で、
初めて被害者の母親と向き合った。

 委員会が設けた
「被害者との対話」プログラムの中でのことだった。

 母親は言った。

「先生は二度、無罪を言い渡した。
娘は二度、殺された」

 矢島は長い沈黙の後、口を開いた。

「私は法に従った。
それが正しいことだと、信じていた」

「信じていた、で済むんですか。
娘は今でも行方不明なんです」

 矢島はそれ以上、言葉を返せなかった。
法服の下に何十年も蓄えてきた確信が、
音もなく崩れていくのを感じた。

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## 第六章 可視化された正義

 改革はひとり司法にとどまらなかった。

 警察の捜査映像の公開制度が導入された。
容疑者への取り調べは全て録画され、
適正手続きを経た上で
一般に開示される仕組みが整えられた。
職務中の警察官は小型カメラを装着し、
その映像は定期的にチェックされる。
公共施設や学校、
行政機関の庁舎内には監視カメラが大幅に増設された。

「監視社会だ」と一部のメディアは批判した。
しかしその批判をした媒体の一つは、
その後、外国資本からの
不透明な資金提供を受けていたことが明らかになり、
関係者の逮捕者を出した。

 批判の声は急速に小さくなった。

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## 第七章 静かな革命

 変化は一夜にして起きたわけではなかった。

 振り返れば、兆候はずっと前からあった。
ただ誰もそれを正面から口にできなかっただけだ。
口にすれば、「差別主義者」「排外主義者」
というレッテルを貼られた。
沈黙が、長い間、賢明とされていた。

 しかしある時点から、その沈黙が破られ始めた。

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 国家安全保障局が公表した報告書は、
七百ページを超える分厚いものだった。

 そこには、国内の複数の市民団体・政治団体が、
外国政府の資金提供を受けて活動していた
実態が詳細に記されていた。
特定の外国政府の意向を反映した政策提言を行い、
国内世論を誘導し、
ある種の立法を阻害しようとしていた組織の名前が、
証拠とともに列挙されていた。

 資金の流れは巧妙に隠されていた。
財団を経由し、NPOを経由し、
個人名義の口座を経由して、
最終的に各団体の運営費に組み込まれていた。

「日本の組織を使って、
日本の意思決定を外側から動かす。
教科書通りの工作だ」

 安全保障の専門家は記者会見でそう述べた。

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 逮捕が始まったのはその翌月だった。

 外国資金を受け取りながら申告していなかった
団体の代表者が、政治資金規正法違反
および外国為替及び外国貿易法違反の疑いで
次々と立件された。
「〇〇市民の会」
「△△を守る女性たち」
「◇◇連帯ネットワーク」
——耳障りの良い名前を持つ団体が、
実態として外国の出先機関として
機能していたことが明らかになった。

 メディアの一部はこれを「弾圧」と報じた。
しかしその報道機関自身も、
後に外国資本との不透明な資金関係を指摘され、
幹部に逮捕者を出した。
批判の声は、
自らの足元が崩れる音にかき消されていった。

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 田中洋子は五十八歳、普通の主婦だった。

 長年、地元の商店街で小さな花屋を営んできた。
政治には詳しくない。
デモに行ったこともない。
ただ、毎日まじめに店を開け、お客に笑顔で接し、
税金を納め、静かに暮らしてきた。

 テレビで逮捕のニュースが流れる度、
洋子はぼんやりとした既視感を覚えた。

 あの人たちのことは知っていた。
知っているというより、何度も出くわしていた。

 商店街の前で拡声器を抱えてスローガンを叫ぶ人たち。

チラシを無理やり押し付けてくる人たち。
「差別反対」と書いたプラカードを持ちながら、
見知らぬ通行人に怒鳴りつける人たち。

 おかしいとは思っていた。
でも何も言えなかった。
何か言えば、
自分が「差別主義者」にされそうで怖かった。

 ニュースを見ながら、洋子は夫に言った。

「やっと、普通になってきたね」

 夫は黙って頷いた。

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 「普通」という言葉が、
この時期、多くの人の口から漏れた。

 誰かを傷つけず、ルールを守り、
静かに生きてきた人たちが、
長い間、何かを我慢させられてきた、という感覚。
声が大きく、組織があり、
メディアとの繋がりを持つ人たちの論理に、
ただ黙って押し流されてきた、という感覚。

 それが「普通」でないことに、
多くの人がうっすら気づいていた。
ただ言葉にできなかっただけだ。

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 改正公安調査法のもと、
外国政府との不透明な関係が認められた団体は、
裁判所の決定により順次解散を命じられた。

 解散命令を受けた団体の数は
最終的に二百三十七に上った。

 その中には、長年「人権」を旗印に
活動してきた団体も含まれていた。

 彼らが守ろうとしていた「人権」が、
実際には特定の国家の利益と一致していたことが、
資金の流れによって白日の下に晒された時、
多くの人は怒りよりも疲れを感じた。

 長い間、騙されてきたのだ、という疲れを。

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 一方で、この変化を単純に喜べない人たちもいた。

 大学で社会学を教える岩本誠一郎は、
一連の動きを複雑な思いで眺めていた。

 外国資金による工作活動は確かに問題だ。
法を犯した者が罰せられるのは当然だ。
しかし「反日」と「批判」の境界線はどこにあるのか。
「普通の日本人」という言葉の中に、
誰が含まれて誰が含まれないのか。

 岩本は学生たちにこう言った。

「正義が実現される時、必ず副作用がある。
大事なのは、正しいことを正しくやれているか、
常に問い続けることだ。
安心したその瞬間が、一番危ない」

 学生たちはノートを取った。

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## 第八章 静かな春の中で

 その年の秋、
内閣府が行った世論調査で、
「日本社会の公正さ」への満足度が
過去最高を記録した。

 七十一パーセントの人が
「以前より暮らしやすくなった」と答えた。

 一方で十四パーセントの人が
「何か大切なものが失われた気がする」と答えた。

 どちらの答えも、嘘ではなかった。

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 田中洋子の花屋は、
今日も朝早くシャッターを開けた。

 商店街は静かだった。
拡声器の声はない。怒鳴り声もない。

 一人の老人が立ち止まり、
白い菊の花束を手に取った。

「お墓参りですか」と洋子は聞いた。

「ええ、家内の」と老人は答えた。

「交通事故でね。もう五年になります」

 洋子は丁寧に包んで渡した。
代金を受け取りながら、ふと思った。

 この人の妻を奪った事故が、
きちんと裁かれていたなら。

 加害者が逃げおおせていなかったなら。

 誰かがちゃんと責任を取っていたなら。

 この老人の五年間は、
少し違ったものになっていたかもしれない。

「ありがとうございます」と老人は言い、
静かに歩き出した。

 洋子はその背中をしばらく見送った。

 秋の朝の光が、
商店街の石畳に斜めに差し込んでいた。

 世の中はまだ完全ではない。
正しくあろうとすることと、
正しくあることの間には、いつも距離がある。

 それでも今日は昨日より、
少しだけ、普通に近づいた気がした。

 ただそれだけのことが、
長い間、どれほど遠かったことか。

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## 終章 普通の春

 一年後の春、矢島健太郎は免職となり、
倉田修一は弁護士資格を剥奪され、
西村浩二は検察官を辞した。
三人とも、それぞれの形で法的責任を問われた。

 高橋さくらの父親は、判決の報を聞いた日、
仏壇の前でしばらく手を合わせた。
涙は出なかった。
ただ静かに、娘の写真を見つめた。

 行方不明の少女の母親は、今も娘を探している。
それは変わらない。しかし彼女はこう言った。

「あの日、誰かがきちんと罰せられていたら、
娘の人生は違ったかもしれない。
今からでも、次の子が守られるなら、それでいい」

 桜が、また散り始めていた。

 東京のどこかで、
普通の人たちが普通の朝を迎えていた。
真面目に働き、静かに暮らし、
誰かを傷つけることなく生きている人たちが。

 その人たちのために、正義はあるべきだった。

 ただ、それだけのことだった。

---

*了*