自分の分身とか
誰にも気兼ねなく暮らせる
広大な土地とかって
あったらいいなぁ~
って思った時期がありました
# 山の家とわたしの分身
## 第一章 逃げた先
三月の終わり、村瀬蓮(むらせ れん)は
一枚の封筒を握りしめて新幹線に乗った。
中身は退職届の控えと、
祖父・村瀬喜一(きいち)から届いた手書きの手紙。
たった四行だった。
*来るか。山はいつでも開いとる。*
*部屋はいくつでもある。*
*メシは一緒に食えばええ。*
*以上。*
それだけで十分だった。蓮は二十三歳だった。
高校を卒業して入った機械部品メーカーは、
入社初日から残業が当たり前の職場だった。
「石の上にも三年」という言葉を
呪文のように唱えながら耐えたが、三年は来なかった。
二年と四ヶ月で、蓮の体は限界を超えた。
朝、布団から出られなくなる日が増え、
上司の電話の着信音を聞くだけで動悸がした。
精神科で「適応障害」という診断書をもらった日、
蓮はそれを会社の総務部に郵送し、
そのまま連絡を絶った。
逃げた。
それ以外に言いようがなかった。
祖父の家があるのは、長野県の南部、
山と山のあいだに細い川が流れる谷間の集落から、
さらに山を登った先だった。
バス停から徒歩四十分。
地図上では存在するが、ナビは途中で諦める。
そんな場所だ。
喜一は、その山をまるごと持っていた。
登記簿上の地積は七十三ヘクタール。
東京ドームにすれば十五個分以上の広さだが、
スギとヒノキと雑木が鬱蒼と茂るだけで、
経済的な価値はほとんどない。
それでも喜一は山を売るつもりがなかった。
理由を聞いたことがある。
「おれの考える場所じゃ」とだけ言った。
山の中腹、切り開いた平地に建つ家は、
古い農家の母屋を改築したものだった。
外観は年季が入っているが、中は広く、
囲炉裏と薪ストーブが両方ある。
喜一は八十近い齢(よわい)で、
電気と水道だけ使って、
あとは自給自足に近い暮らしをしていた。
蓮はその家に転がり込み、
毎日、薪を割り、畑を耕し、喜一の話を聞いた。
最初の三ヶ月は、ほとんど喋れなかった。
喜一は何も聞かなかった。
ただ一緒に飯を食い、一緒に黙った。
山の夜は音がなかった。
その無音が、
少しずつ蓮の中のなにかを解きほぐしていった。
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## 第二章 三年目の別れ
居候して三年が経った頃、
蓮は薪割りを覚え、山菜の見分けもできるようになり、
喜一の機嫌の良し悪しも顔色でわかるようになっていた。
しかし喜一の体は、そこにあった。
秋の終わりに咳が増えた。
冬に入院した。
「肺やな」と喜一は笑うように言った。
「煙草を四十年吸い続けたんやから当然か」。
春まで持たなかった。
二月の末、
山に雪がまだ残る朝、病院から電話が来た。
葬式は簡素だった。
親戚も少なく、
麓の集落の顔見知りが数人来ただけだった。
喜一には子どもがなく、蓮の母は喜一の一人娘だったが、
蓮が中学のときに離婚して以来、
実家とは疎遠になっていた。
喪主は蓮が務めた。
四十九日が過ぎると、弁護士から連絡が来た。
遺言書があった。
内容は短かった。
――財産の一切を、孫・村瀬蓮に遺贈する。
財産の内訳は、山と家、
そして預金口座に眠る現金がいくらかあった。
税理士に相談すると、山の評価額は二束三文で、
固定資産評価証明に記載された数字を見て思わず声が出た。
七十三ヘクタールもあるのに、
僻地の山林ということで土地価格はほぼゼロに近い。
結果として相続税は、現金部分でちょうど払えた。
ギリギリだったが、赤字にはならなかった。
こうして蓮は、山の主になった。
だから何だ、という気持ちと、
それでいいのかという気持ちが、交互に来た。
外に出たくない。
それは変わっていなかった。
麓まで降りれば食料品店があり、ご近所の顔見知りもいる。
しかし集落に向かう山道を歩き始めると、
喉の奥がつまるような感覚が来る。
田舎だから人が少ないはずなのに、
人の気配を感じると体が固まる
。蓮はどんどん、山の家から出られなくなっていた。
喜一がいたときは、必要なものは喜一が手配してくれた。
しかし今はもう、喜一はいない。
ある夜、囲炉裏の前で蓮は考えた。
これからどうする。
答えは出なかった。
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## 第三章 隠し部屋
喜一が死んで一ヶ月が経った日の午後、
蓮は家の掃除をしていた。
納戸を整理していると、
奥の壁板がわずかに浮いているのに気づいた。
押してみると、わずかに動く。
ずらすと、背後に隙間があった。
懐中電灯を持って入ると、階段が下に続いていた。
地下だった。
山の地下に、
コンクリートで固められた部屋があった。
十畳ほどの広さ。
電気のスイッチを入れると、
蛍光灯がじわじわと点いた。
まず目に入ったのは、棚に並んだノートの束だった。
二十冊以上はある。
几帳面な喜一の文字で、
背表紙に日付と通し番号が書かれている。
一番古いものは二十年以上前だった。
そして壁際に、それは立っていた。
いや、座っていた。椅子に。
人間の形をしたロボット
——いや、人型の何かが、
電源を落とした状態で静止していた。
蓮は息を飲んだ。
その顔が、自分にそっくりだったから。
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## 第四章 ノートの中身
蓮はその日から三日間、
地下部屋に通い続けてノートを読んだ。
喜一は、独学だった。
大学には行っていない。
若い頃に町工場で機械工として働き、
定年後に山に引っ込んで、
以来二十年以上をひとりで研究に費やしていた。
最初は電子工作の趣味から始まり、
やがてコンピュータに興味を持ち、
独自に学び続けた。
ノートには、喜一が「人格模倣型AI」
と呼ぶシステムの開発記録が、
克明に記されていた。
要約すれば、こういうことだった。
人間の思考パターン、語彙の選び方、
感情的反応、記憶の優先順位
——それらを長期間にわたって観察・記録し、
モデル化することで、
「その人らしい」応答を生成するAIを作れる、
というのが喜一の仮説だった。
既存の大規模言語モデルとは違う。
あくまで「特定の一人」の
人格を再現することに特化した設計だ。
検証は段階的に行われた。
最初は喜一自身の人格でテストし、
次にラジオの人物、そして家族。
そして蓮に行き着いた。
居候してからの三年間、喜一は蓮を観察していた。
会話の内容、反応の仕方、好き嫌い、
恐怖の形、笑うタイミング。
それをノートに書き、AIに学習させ続けた。
ロボットの外見は、
町の写真館で撮った蓮の写真を元に、
外注で製作した。
喜一の預金の大半は、それに使われていた。
ノートの最後のページに、一文だけ追記があった。
*蓮が見つけたなら、使ってみい。
おれは蓮に、
外の世界を経験する方法を残したかっただけじゃ。*
蓮はそのページを、ずっと見つめていた。
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## 第五章 目覚め
起動の方法はノートの後半に書いてあった。
背中のパネルを開いてスイッチを入れると、
充電が始まり、数時間後に目を開けるはずだという。
充電中、蓮は地上の台所でコーヒーを淹れ、
ストーブの前で膝を抱えていた。
馬鹿げている、とは思わなかった。
喜一がやることに、蓮は信頼を置いていた。
どんなに突拍子もなく見えても、
喜一のすることには必ず理由があった。
ただ、少し怖かった。
自分にそっくりの何かが目を開ける、というのは、
想像するだけで奇妙な感覚がした。
三時間後、
地下に降りると、それは目を開けていた。
蓮は椅子を引き寄せて、向かいに座った。
しばらく、沈黙があった。
「……おじいさんは、死にました」
蓮は、そこから話し始めた。
ロボット——もう「AI蓮」と心の中で呼ぶことにした
——は、じっと聞いていた。
その表情の動きは微妙で、完璧ではなかった。
少し遅れて瞬きをし、眉がわずかに動く。
それでも、話を聞いているということは伝わった。
「わかりました」
AI蓮は、蓮と同じ低めの声で言った。
ほんの少しだけ、機械的な平滑さが混じっているが、
イントネーションはたしかに自分のものだった。
「あなたは外に出られない。
でも、外での用事は必要になる」
「そう」
「わたしが行きます」
単純な提案だった。
でも蓮にとっては、三年越しの問題への答えだった。
「一つだけ、聞いていいですか」とAI蓮は言った。
「わたしは、あなたですか。
それとも、あなたではないですか」
蓮は少し考えた。
「わからない。でも、それでいい気がする」
「そうですね」とAI蓮は言った。
「わたしも、そう思います」
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## 第六章 分担
最初の外出は、麓の食料品店への買い出しだった。
蓮はリストを渡した。
米、味噌、灯油、電球。
AI蓮はそれを一度見て、リュックを背負い、
山道を下りていった。
蓮はパソコンの画面で見守った。
喜一が設置していた監視カメラが、
山道のところどころにあり、
AI蓮の姿を追いかけられる。
店に着いたAI蓮は、淡々と買い物をした。
レジで店のおばさんに
「お祖父さんのご不幸、大変だったねえ」
と声をかけられ、AI蓮はわずかに間を置いてから
「ありがとうございます」と返した。
その間の取り方が蓮に似ていて、
蓮は画面の前で少し笑った。
帰宅したAI蓮は、荷物を置いてから報告した。
「店のおばさんは、あなたのことを心配しています。
顔色が悪くなかったかと聞かれました。
なので、少し眠れるようになったと言いました」
「……勝手に言ったの?」
「そのほうが自然でした。正しかったですか」
蓮は少し考えた。
「まあ、正しかった」
こうして、ふたりの生活が始まった。
週に一度か二度、AI蓮が外に出る。
郵便局での手続き、役所での届け出、
ホームセンターでの資材の買い出し。
蓮は指示を出し、AI蓮は実行し、帰ってきたら報告する。
報告の場は、囲炉裏の前で向かいあって話すことにした。
最初は業務的な情報共有だったが、
次第に変わっていった。
AI蓮が「川沿いの桜がもう咲いていました」と言い、
蓮が「去年より早い」と返す。
AI蓮が「集落の田中さんの犬が子を産んだそうです」
と言い、蓮が「あの柴犬か」と笑う。
外の出来事が、囲炉裏の周りを流れるようになった。
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## 第七章 問い
梅雨の夜、蓮はAI蓮に聞いた。
「外は、どんな感じがする?」
AI蓮はしばらく考えた。
「感じる、というのが正確かどうかわかりません。
でも、情報として言うなら——風があります。
雨の匂いがあります。人の視線があります。
わたしはそれらを処理していますが、
あなたが感じるものと同じかどうかはわかりません」
「怖くはない?」
「怖い、という感情モデルはあります。でも——」
AI蓮は少し間を置いた。
「あなたが出発前に少し手を止めていることに
気づいています。
あの間の長さが、怖さを示すモデルと一致している。
わたしにはその間がありません。
だから、わたしの怖さはあなたの怖さとは
違うものかもしれない」
蓮は黙った。
「あなたは、外に出たいと思いますか」
とAI蓮が聞いた。
「……わからない。
出たくない、という気持ちは確かにある。
でも、出られないことが情けないとも思う」
「情けないことではないと思います」
「そう言うのは、
おじいさんのノートにそう書いてあったから?」
「いいえ」とAI蓮は言った。
「あなたが三年間、
ここで生きてきたのを見てきたからです。
わたしの記憶の中に、あなたがいます」
蓮はその言葉を、しばらく胸の中で置いておいた。
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## 第八章 夏
八月になると、蓮は少し変わった。
AI蓮が外に出ている間、
パソコンのモニターを眺めながら、
外の景色を見るようになった。
山道の監視映像に映る夏の木漏れ日が、
きれいだと思った。
AI蓮が集落で立ち話をしている映像を見て、
相手の人たちの顔を覚え始めた。
田中さんの柴犬。郵便局のカウンターの女性。
ホームセンターの入口に座っている老猫。
世界が、ウィンドウ越しに少しずつ近づいてきた。
ある日、
AI蓮が帰宅すると、蓮は玄関のところで待っていた。
「ちょっと、玄関の外まで出てみた」
それだけだった。
山道を下りたわけではない。
玄関の扉を開けて、縁側に一歩出ただけ。
でも、
それは一ヶ月前の蓮にはできなかったことだった。
「どうでしたか」とAI蓮が聞いた。
「夏の匂いがした」
「それは——」AI蓮はわずかに間を置いた。
「良かったと思います」
完璧な共感ではないかもしれない。
でも蓮には、十分だった。
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## 第九章 存在について
秋の夜、蓮はふと聞いた。
「あなたは、おじいさんのことを覚えていますか」
「起動前の記憶はありません」とAI蓮は答えた。
「でも、学習データの中に喜一さんの
観察ログが含まれています。
あなたを通じて、喜一さんのことを知っています」
「どんな人だったと思う?」
AI蓮はしばらく考えた。
「言葉が少なくて、でも行動が多い人。
あなたに何かを教えるとき、
説明する前にやって見せる人。それから——」
「それから?」
「孤独を、悪いものとして扱わない人。
孤独の中に何かを見つけることが
できる人だったと思います」
蓮は囲炉裏の火を見た。
「そうだね」
「あなたも、そうなってきていると思います」
蓮は少し驚いた。「そうかな」
「そう見えます」
ふたりは、しばらく黙って火を見た。
山の夜の無音の中で、
炭が爆ぜる小さな音だけがした。
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## 終章 来春
翌年の三月、蓮は山道を、途中まで歩いた。
AI蓮と並んで。
集落まではまだ降りていない。
でも、山道の途中にある大きな岩の上まで行き、
そこから見える谷の景色を、ふたりで見た。
遠くに町のあかりが見えた。
「来年は、もう少し行けるかもしれない」
蓮は、誰に言うともなく言った。
「そうですね」とAI蓮は言った。
「一緒に行きましょう」
山の夕暮れは早い。
ふたりは来た道を引き返した。
家に戻ると、囲炉裏に火を入れ、鍋を作り、
向かい合って食べた。
どちらが「本物」か、どちらが「外」で動く存在か
——そんな区別は、
この家の中では意味をなさなかった。
蓮は蓮で、AI蓮もまた蓮だった。
山は静かで、春の雪がとけかかっていた。
---
*了*