自分も霊感があって

修くんに近いような時もありました

でもそんなのあっても何の役にも立たないし

人に話すのは要らぬ興味を引くだけなので

親友くらいにしか話していませんでした

ただその中の一人が興味を持ってしまい

その後 面倒な事になりましたが・・・。

 

 

# 廃病院

## 一

「見えるけど、聞こえないんだよなぁ……」

鳥谷修は棒付きキャンディーを
くるりと舌で転がしながら、
山の斜面に張り付くように建つその建物を眺めた。

秋も終わりかけの山奥だった。
車を停めた林道から廃病院まで、
獣道ともいえない細い踏み跡を二十分ほど歩いた。
足元の枯れ葉はじっとりと湿っていて、
踏むたびに不快な音を立てた。
空は厚い雲に覆われ、
午後二時だというのに薄暗い。

建物自体は、それほど古くはなかった。
昭和の終わりごろに廃院したと聞いていたから、
四十年ほどか。
鉄筋コンクリートの壁は黒ずんだ染みと蔦に覆われ、

二階の窓はほとんどが割れているか、
べこりと凹んでいるかのどちらかだった。
敷地の入口に立って見上げると、
その輪郭が空にぎざぎざの傷を
つけているように見えた。

霊は見える。

十六年生きてきて、そこだけはずっと変わらない。
ただし「見える」というのは
正確ではないかもしれない。
むしろ「いる」と分かる、という感覚に近い。
幼い頃、修はそれを特別なことだと
思っていなかった。
近所の家の前に立っている着物の老人も、
小学校の廊下の端に座っている子どもも、
ただそこにいる存在として受け入れていた。
それが普通ではないと気づいたのは
小学校三年生のとき、
友達に「あそこにいる子は誰?」と聞いて、
友達がひどく怯えた顔をしたからだった。

ただし、声は聞こえない。
口が動いているのは分かる。
何か言いたいのだろうと思う。
だが音は届かない。そこだけが欠けている。

今も、
廃病院の二階の窓のひとつに、人の影がある。
動かず、こちらを見ている。白っぽい何かだ。
修はキャンディーの棒を唇の端に引っ掛けたまま、
ポケットに手を突っ込んだ。

行方不明の女子高生。
名前は谷口さくら、十七歳。

三日前、母親が修を訪ねてきた。
看板など出していない。間口もない。
それでも口コミで人は来る。
「いわくつきのものを何とかしてほしい」
「取り憑かれた」そういう話を持ち込む人間が、
定期的に現れる。
たいていは話を聞いてみれば霊など関係ない、
ただの思い込みか家の軋む音か何かだ。
だが、たまに本物がある。

年齢が年齢だから、
学校のクラスメートには絶対に言えない。
こんなアルバイトをしているなどと知れたら、
それこそ本格的に変人扱いされる。
でも依頼を断れなかった。
金のためというより、
泣いている母親の顔を
見ていられなかったからだ。
それを人には言わないが。

谷口明美は泣いていた。
五人で入った廃病院から帰ってきたのは一人だけで、

その男子生徒の話では
「二階に行こうとしたところで怖くなって、
一人で引き返した」という。
残る四人、そのうちの一人がさくらだった。
警察は捜索したが、
建物内の人目を引かない奥まった場所までは
手が回らなかったようだ。
あるいは、
何か見てはいけないものを
見て引いたのかもしれない。

---

建物の入口は、引き戸がとっくに朽ちて外れ、
ぽっかりと口を開けていた。
修は懐中電灯を点けて中に踏み込んだ。

途端に、息が白くなった。

「さむっ」

外もそれほど暖かくはなかった。
だが中はまるで別の場所のようだった。
体感で十度以上は違う。
コンクリートの壁が冷えを閉じ込めているのか、
それとも別の理由があるのか。
修は上着を車に置いてきたことを深く後悔した。
薄いパーカー一枚では話にならない。

受付と思われる広いスペースがあった。
カウンターは傾き、
椅子は錆びて床に張り付いていた。
古い雑誌が散乱している。
ネットで心霊スポットとして有名になって以来、
肝試しに来た若者が散らかしたものだろう、
空き缶やコンビニ袋も混じっている。

修は耳を澄ました。

物音はしない。

しかし、気配がある。

生き物の気配なのか、それとも別の何かなのか、
まだ分からない。
ただ、建物全体が息を潜めているような、
そういう感覚があった。
二階への階段が右手に見えたが、修は無視した。
問題は下だ。
地下一階。
病院の地下といえば、考えるまでもない。

地下への階段は、廊下の突き当たりにあった。

修はキャンディーをもう一度舌で転がして、
歩き出した。

---

## 二

階段を降りながら、ライトで足元を照らす。
段はぬめっていた。
水が染み出しているらしく、
苔がびっしりと生えていた。

地下に降り立つと、廊下がまっすぐ奥へ伸びていた。

天井が低い。
壁は剥がれかけたタイル張りで、
あちこちに亀裂が走っていた。
湿った空気が肺に入り込んでくる。
土と、それから何か別の匂いがまじっていた。

十メートルほど歩いたところで、修の足が止まった。

ライトの光の中に、何かがあった。

最初は分からなかった。
形が、正常な形をしていなかったから。
しゃがんで近づいて、
それが人の一部だと分かったとき、
修は小さく息を吐いた。動揺を表に出さないのは、

この仕事を始めてからの癖だ。
制服の布切れが見えた。
紺のスラックス。
その先に続くものを、
修はなるべく細かく見ないようにした。

さらに奥に、また別の……。

数えてみると、おそらく二人か三人分。
形としては三人分に見えたが、確信は持てなかった。

遺体は損壊が激しく、
まるで巨大な力で引き裂かれたかのようだった。

五人で入って、一人は引き返した。
残る四人。

だが、ここにある遺体は多くても三人分だ。

修は口の中でキャンディーを転がしながら、
頭の中で計算した。
一人、足りない。

さくらが生きている可能性がゼロではない。
修は意識的にそちらへ思考を引っ張った。
可能性は小さいかもしれないが、ゼロではない。
母親の顔を思い出した。
あの人の前で「娘さんは……」
という台詞を言いたくなかった。
自分はそれほど優しい人間でもないと思っているが、

少なくとも泣いている母親に
淡々と事実を告げるような真似は御免だった。

廊下の突き当たりに、扉があった。

金属製の重そうな扉で、半分ほど開いていた。
薄暗い室内にライトを向けると、
金属製の台が並んでいるのが見えた。
遺体安置所だ。あるいは解剖室か。

修は扉を肩で押し開けて、中に入った。

その瞬間だった。

---

気配ではなく、実体として何かが来た。

横から、というより、床から湧き出るように。

懐中電灯が弾き飛ばされ、室内が闇に落ちた。
それと同時に、全身に圧力がかかった。
粘性のある何かが腕に、胴体に巻き付いてくる。
冷たく、湿っていて、
しかし筋肉があるような締め付け方をした。
ぬめぬめとした表面が素肌に触れると、
弱い酸のようなひりつきがあった。

巨大な軟体動物のようなもの、
と修が認識するのに数秒かかった。

骨が軋んだ。
本当に、軋む音がした。
腕の骨か、肋骨か。
修は口から空気を押し出そうとしたが、
胴を締め付けられているせいで息が吸えなかった。
そういえばキャンディーは
どこかへ飛んでいったらしい。
それよりも首だ。
首に巻き付いているものが締まってくる。

窒息死は嫌だなぁ……
と、どこか他人事のように思った。

溺れるよりはマシか。
いや、どちらも大差ないか。
そもそも比べる必要もないが、
酸素が足りなくなってくると
人間の思考はこういう方向へ行くらしい。
霊は見えるのに、こういうもので死ぬのか。
なんとなく釈然としない。
そういえば、これには霊気のようなものがない。
生き物だ。
ただし、自分が知っている
生き物の分類には入らない何かだ。

相手が悪かった、と後悔した。

もう手遅れだったが。

---

それが急に終わった。

締め付けが緩み、修は床に崩れ落ちた。
肺が勝手に空気を引き込んで、そのままえずいた。
胃の中のものが喉まで上がってきて、
止められなかった。
しばらく床に手をついたまま、
呼吸を取り戻すことだけに集中した。

視界の端に、人の足が見えた。

立ち上がれる自信がなかったので、
そのまま顔だけ上げた。

暗い室内に、人が立っていた。
懐中電灯か何かを持っているのか、
室内に光があった。
体格のいい、背の高い男だった。
日本人ではない、とシルエットで分かった。
ブロンドに近い短い髪、整った顔立ち。
四十代か、もう少し若いか。
服装は実用的なカーゴパンツと厚手のジャケット、
足元はしっかりとしたブーツだった。
修のくたびれたスニーカーとは大違いの、
準備万端な格好だった。

男はしゃがんで、手を差し伸べた。

握手しようとしているのだと思い、
修はその手を掴んだ。
そのまま引き起こされた。
外国人の力は穏やかで、しかし確かだった。

「大丈夫ですか」

日本語だった。
流暢とは言えないが、
しっかりと通じる日本語だった。

「私はフレデリック・D・マクミランと言います」

男は続けた。

「女の子は、あなたに託しますね。
ここはもう安全です」

修が何か言う前に、
フレデリックと名乗った男は立ち上がった。
扉の方へ歩いていく。

「ちょっと待て」

修は声をかけた。
喉が痛く、自分の声が掠れているのが分かった。

「あんたは何者だ」

フレデリックは振り返らなかった。
廊下へ出て、暗がりの中に消えていく。
修は目でその背中を追った。

そして、その途中で——室内の隅に、
人が倒れているのが見えた。

---

## 三

走り寄ったわけではなかった。
体が思うように動かなかったからだ。
引きずるように近づいて、膝をついた。

女の子だった。
制服を着ていた。紺のスカート、白いシャツ、
汚れてはいるが原形をとどめていた。
仰向けに倒れて、目を閉じていた。

修は震える手を首元に当てた。

脈があった。

弱いが、確かにあった。

「よかった……」

声に出したのは、自分でも意外だった。
安堵が思ったより大きかったのだ。
母親の顔が頭に浮かんだ。
泣いている顔ではなく、
少しだけ笑っているところを想像した。

さくらの顔は蒼白で、体温が低かった。
この地下の寒さの中で
どれだけの時間を過ごしたのか。
意識はなかったが、呼吸はしていた。
外傷らしい外傷は、見える範囲ではなかった。

修は上着もないのに、
どうやって運ぼうかと一瞬考えた。
答えはひとつしかなかった。

さくらを背中に担ぎ上げた。
思ったより軽かった。
あるいは、
自分が切羽詰まっていただけかもしれない。

廊下を引き返した。
遺体の傍を通るとき、目をそらした。
階段を上がるとき、
全体重と彼女の重さがひざにきた。
一階を横切り、入口の開口部をくぐった。

外の空気が、顔に当たった。

冷たかったが、地下の冷気とは質が違った。
山の空気だった。
曇り空の下、枯れ葉の匂いがした。

修はさくらを担いだまま、
少し歩いたところで腰を下ろした。
背中から彼女を降ろして、地面に寝かせた。
自分も隣に座り込んだ。

廃病院を振り返った。

二階の窓に見えていた白い影は、もういなかった。

フレデリック・D・マクミランという男が
何者なのか、どこから来てどこへ消えたのか、
修には分からなかった。
あの軟体のような生き物を
どうやって退けたのかも。
托した、という言葉を使っていた。
まるで当初から
そのつもりだったかのような物言いだった。

縁があれば、また会うこともあるだろう。

修はポケットに手を突っ込んだ。
予備のキャンディーがあることを思い出し、
取り出して口に放り込んだ。
甘さが舌に広がった。
いちご味だった。

電話をかけなければならない。
救急と、それから谷口明美に。

さくらが目を覚ましたとき、
最初に聞こえる声が赤の他人の高校生の声でなく、
母親の声であるといい、と修は思った。

携帯を取り出して、
キャンディーの棒を唇の端に引っ掛けたまま、
番号を押した。

---

**了**