ファンタジーものが続いたので
現代ものにしようと思い作りました
音楽のお話にしようと思い
以前 グループアイドルものを作ったので
今回はソロ歌手にしてみました
# 歌声の約束
幼稚園の砂場で、
私は初めて彼に歌を聴いてもらった。
「すごいね、本当に上手だよ」
隣の家に住む幼馴染の蓮は、
いつも私の歌を褒めてくれた。
嬉しくて、私はますます歌うようになった。
朝起きた時も、お風呂に入る時も、道を歩く時も。
歌うことが、呼吸と同じくらい自然だった。
小学生になっても、それは変わらなかった。
休み時間には教室の隅で鼻歌を口ずさみ、
下校中には蓮と一緒に歌った。
「将来の夢は?」
と聞かれれば、迷わず答えた。
「武道館でコンサートをすること」
それは遠い夢ではなく、
いつか必ず叶える約束のように感じていた。
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小学五年生の秋。
クラスで一番人気のある雄太が、
音楽の時間に言った。
「あいつ、音痴じゃね?」
教室が一瞬静まり返り、
次の瞬間、彼の取り巻きたちが笑い出した。
「マジだ、音痴だ」
「うるさいだけじゃん」
それからは毎日だった。
廊下ですれ違う度に「音痴」と囁かれ、
休み時間に歌おうとすれば
「やめてよ」と顔をしかめられた。
蓮は何度も庇ってくれた。
でも、言葉は胸に深く刺さり続けた。
やがて私は、歌うことを止めた。
夢も、心の奥底に閉じ込めた。
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それから十年以上が過ぎた。
私は地味な事務職に就き、平凡な日々を送っていた。
蓮とは高校卒業後に疎遠になり、
彼が音楽大学に進学したことを
風の噂で聞いただけだった。
ある日、
駅前のカフェで休憩していると、声をかけられた。
「やっぱり君だ。久しぶり」
振り向くと、スーツ姿の蓮が立っていた。
背も伸び、面影はあるものの、
すっかり大人になっていた。
「音楽事務所で働いてるんだ」
と彼は言った。
「新人発掘を担当してる」
思いがけない再会に戸惑っていると、
蓮は真剣な表情で続けた。
「君の歌声で、多くの人を幸せにしてほしい。
歌手として、デビューしないか?」
私は首を横に振った。
あの頃のトラウマが、瞬時に蘇った。
「無理だよ。私、音痴だから」
「違う」
蓮は即座に否定した。
「君の歌声は本物だ。昔からずっとそう思ってた」
何度も断った。
でも、蓮の熱意は揺るがなかった。
毎週のようにカフェに現れ、語り続けた。
音楽の素晴らしさを、歌うことの意味を、
そして私の才能を。
三ヶ月後、私は決意した。
もう一度だけ、あの夢を追いかけてみようと。
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デビューへの道は険しかった。
地方都市を回るキャンペーン、
レコード店への挨拶回り。
小さなライブハウスに空きが出たと聞けば、
蓮はすぐに交渉して歌わせてくれた。
最初の観客は五人だった。
二回目は八人。
でも蓮は諦めなかった。
私も諦めなかった。
「いい歌だったよ」
ライブ後、一人の女性が声をかけてくれた。
その一言が、どれほど嬉しかったか。
少しずつ、確実に、ファンが増えていった。
SNSで歌声が話題になり、
音楽番組から出演依頼が来た。
全国ツアーが決まった。
そして、ついにその日が訪れた。
「武道館でのコンサート、決定です」
事務所の会議室で聞いた時、涙が止まらなかった。
幼い日に見た夢が、現実になる。
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武道館コンサート当日。
楽屋で衣装に着替えながら、私は落ち着かなかった。
開演一時間前なのに、蓮がまだ来ていない。
いつもなら真っ先に駆けつけてくれるのに。
電話をかけると、すぐに繋がった。
「ごめん、ちょっと遅れる。
でも大丈夫、間に合うから」
蓮の声は明るかった。
「緊張してる?」
「うん、すごく」
「君なら大丈夫。あの頃から、
君の歌声は誰よりも輝いてた。自信を持って」
胸が熱くなった。
「ありがとう。待ってるね」
電話を切り、深呼吸をした。さあ、行こう。
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舞台袖に立つと、
武道館を埋め尽くす観客の熱気が伝わってきた。
何千人もの人々が、私の歌を待っている。
照明が落ち、歓声が上がった。
一歩、また一歩と、ステージの中央へ歩いていく。
スポットライトが私を照らした。
最初の一音を発した瞬間、すべての恐怖が消えた。
音痴と言われたあの日も、
歌えなくなった長い年月も、
もう何も怖くない。
歌った。
心を込めて、魂を込めて。
観客は手を振り、声援を送ってくれた。
涙を流している人もいた。
アンコールの最後、私はマイクを握りしめて言った。
「ここまで来られたのは、一人の人のおかげです。
ずっと信じ続けてくれた人。
今日も、きっとどこかで
見ていてくれていると思います」
蓮、ありがとう。
これからも一緒に、もっと大きな夢を叶えていこうね。
私は最後の曲を歌い始めた。心からの感謝を込めて。
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そのとき。
武道館から三キロ離れた交差点で、
蓮は小さな女の子を抱きかかえていた。
飛び出してきた車。
咄嗟に女の子を押し出した彼の体が、
代わりに衝撃を受けた。
アスファルトに倒れた蓮の耳に、
遠くから歓声が聞こえた気がした。
——ああ、始まったんだな。
唇に、かすかな笑みを浮かべて。
彼女の歌声が、きっと今、武道館に響いている。
それだけで、すべてが報われた。
蓮の視界がゆっくりと暗くなっていく。
最後に浮かんだのは、
砂場で歌う小さな少女の笑顔だった。
すごいね、本当に上手だよ。
—— その言葉を、もう一度伝えたかった。
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コンサートは大成功だった。
翌日の新聞には「武道館を感動で包んだ新星」
という見出しが躍った。
私は楽屋で携帯を握りしめていた。
蓮からの連絡が、まだない。
「結局、来られなかったのかな」
少し寂しかったけれど、きっと忙しかったのだろう。
後で電話して、昨日のこと、全部話そう。
感謝の気持ちも、これからの夢も。
窓の外は、よく晴れた青空だった。
私は立ち上がり、小さく鼻歌を口ずさんだ。
新しい一日が、始まる。
(了)